12月26日「理事長からのメッセージ」

 今日は、朝11時30分に田口弘元審判長とアポを取り、久しぶりでお会いしてきました。とてもお元気でした。協会事務所から彼の自宅まで私の足で17分、田口さんの足だと多分17分30秒くらいでしょう。途中に町田先生のご自宅がありそこまでは12分。京都でいうと私の実家から二条城・二条中学校までが12分。17分というと北野天満宮か御所に行く距離か。京都は12分や17分も歩くといろいろ名所旧跡があるが東京や東村山は家やビルばかりです。ウオーキングにはいいですが、変化や歴史には極めて乏しいですね。

 さて、本題の田口さん。来年の日本ティーボールセミナーにぜひご参加くださいとお願いに行きました。また、川崎先生の手洗いのタオルなどをもって、年末の挨拶に行ったのです。
 田口さんは、この日本ティーボール協会の大功労者です。この28年の協会の歴史で10人功労者をあげよと言えば、間違いなく彼は上位にランクされます。日本協会のみならず、東京都連盟、東村山連盟、その全てにおいて偉大なる貢献をされました。その最たる貢献はやはり皆様もご存じのように日本協会の審判長を長く勤めてくださったことです。それは、見事でした。大会前は必ず審判講習会を開催、当日は審判打ち合わせと反省会、これはあの西武ドームの小学生の全国大会も、健康福祉の大会も、特例子会社の大会も東京オープン大会も、です。誠実に一つ一つのことをきちんとおやりくださいました。大会前後に必ず私とあの東村山のイノダコーヒー店で詳細な打ち合わせ、大会後は反省会、そして反省文をお書きになる、とても几帳面でした。このような功績が認められ、一昨年「レクリエーション運動普及振興功労者表彰」を受賞されました。
 そもそも、田口さんとの出会いは、もうかれこれ40数年前になるのかなあ。勿論ソフトボールをとおしてです。彼は東村山ソフトボール協会の会長も長くおやりになりました。私は、一応東京都ソフトボール協会の特別顧問、東京都協会の区市会長忘年会ではいつも講演・スピーチをさせられます。田口さんはその会も皆勤です。帰りはいつも一緒。今年は、コロナでその会も中止です。彼が経営されていた「酔虎伝」にもたまに行かせていただきました。フレンドリーな方です。

 協会を創設した時の審判長はあの丸山先生、10年ほどして彼が休会した時、田口さんと久保田先生が丸山先生の後、共同審判長のような形で助けてくださったのです。その後、久保田先生が学校、野球でお忙しくなられてからは、田口さんに審判長は一本化されました。そこで、前述したようなご活躍です。感謝ばかりです。彼の歳を言っていいのかなあ、彼が80歳になられた時、そのあと引き継いでくださったのが、あの小西さん、そして今は帰ってきてくれた久保田先生、以上がこの協会の審判部の歴史でした。そうです。その歴史のド真ん中におられたのが田口さんです。

 来年の日本ティーボールセミナーはオンラインで行います。先日、田口さんから電話を頂き、息子にパソコンをセットさせるから、セミナーに参加するよとのこと。嬉しいですね。そこで、今日朝、彼のご自宅にその案内状を持参してご挨拶に行ったのです。今後、第二、第三の田口さんがこの協会から誕生することを願って今日のメッセージ「お・わ・り・です」。