12月31日「理事長からのメッセージ」
1年を振り返って
今年の1年ほど、「新しい様式」について考えることはありませんでした。
まず、1月、二人の事務職員が、それぞれ福岡、愛知へ生活の拠点を移すとのことになり、このことで、事務所に、パソコン、クラウド、オフィス365の導入をすることになりました。私にとってはわけがかからない電子系のことですが、導入により東京にいなくてもその職員が、継続的に仕事を続けられるとのこと。夢のような話で、コロナ禍の前にこの決断をしたのは、とてもよかった。結局、一人は退職されましたが、他の一人は八面六臂の活躍です。提案してくれた小林さんにまずは1番の感謝です。
1月14日に副理事長の丸山先生が死去。それを息子の俊太郎君から知らされたのが1月18日、19日のセミナーが終わった後でした。大変なショックでした。あと10年は頑張って下さるものと思っていたものですから。
2月に入ると、連日のようにコロナの報道です。22日には、亀岡先生と頼住さん、吉永先生、その他亀岡事務所の方々と「丸山先生を偲ぶ会」を開催。徐々にコロナの怖さが迫ってくる感じでした。
3月に入ると、1日福島でティーボールの講演会に行くつもりでしたが、中止。それ以降はほとんど全ての講習会・イベントが中止か延期でした。中旬から事務所もテレワークを開始、私もこのころから、パソコンの小学一年生、イロハの勉強です。
4月7日から、5月末日までは緊急事態宣言で、高田馬場の事務所は、完全閉室。全く誰も行きませんでした。
6月から8月末までは、私が事務所に週1回郵便物を取りに行くだけ、それも特急で滞在時間は2,3時間。それ以外は全くの空き室。これで私は、事務所の移転を決断しました。副会長の岩浪さん、専務理事の頼住さんを初め多くの方と相談した上のことでした。8月25日引っ越し。これもコロナ禍の中大変でした。学生のバイトを頼むわけも行かず、ほとんど全ては、小西さん、頼住さん、と私の3人、そして業者の方々とで行いました。
9月より、東村山の今の事務所に引っ越し。家賃は高田馬場の事務所の2分の1以下でも、部屋数は3室が6畳、1室が4畳半、あとはバストイレ付きです。悪くありません。東伏見や秋津、所沢等々見ましたが東村山が最善でした。4か月たった今、引っ越しの決断は、大正解と言えます。これも、インターネットの活用、クラウド、オフィス365の採用、他団体もテレワークの普及、この時代にあいました。チームスやズームで会議もできるようになりました。
私は、恥ずかしいことですが、パソコンの「ワード」のやり方はまだわかりません。パソコンに「ワード」というものがあることも知りませんでした。来年トライしようと思っています。聞くところによると、パソコンのイロハの「イ」であるらしいのです。でもこの3,4か月でこのようにキーボードを叩いて、文章が書けるようになりました。私は大学の教授時代に約65冊の本を書きました。全てハンドライティング(手書き)でした。この方が、いいものだと思っていました、どっこい今こうしてキーボードを叩いてみるとこれも悪くない。新しい挑戦です。面白いです。
9,10,11,12月は、本当にイベントの中止、講習会の中止、大会の中止、そこで何ができるかが、勝負でした。この時に決断したのは、このホームページの充実、川崎のぼる先生イラストのポスター、タオル等々の再編や製作でした。新しいものへの挑戦は、事務職員と多くのティーボールの仲間と一緒に行えたのではないかと思っています。結構満足しています。
今年は過去の約30年の協会の歴史を振り返り、今を正しく理解して、来年以降の素晴らしい未来に向けさらに出発するいい機会になったと捉えるべき年と位置付けてもいいのではないでしょうか。皆さんは、この1年どのように感じられましたか。
それでは、今年の「理事長からのメッセージ」は以上です。来年は皆さんと一緒になって素晴らしい年にしましょう。アロハ