1月28日「ボール カポック芯からウレタンへ」
1993年11月22日、日本ティーボール協会は発足しました。その13日前の11月4日、当時早稲田大学の総長だった小山宙丸先生と私は一緒に海部俊樹先生の事務所に行き、この協会の会長をお引き受けいただくようお願いしました。その時の写真が、下記に示した「世界のティーボール」-日本発ティーボールがアジアへ、そして世界へ-(平成22年1月20日・吉村正ゼミ発行)の表紙の左です。そこには、海部先生と私の間に、ミドリの大きいボールが見えます。このボールはカポック芯の日本式ティーボールの最初のボールです。
次に、右隣の写真をご覧ください。これはジョージ・ブッシュ大統領が早稲田大学にお越しになった時私が撮った写真です。海部先生とブッシュ大統領ファーストレディーのバーバラさんの前にあるボールは、ウレタン製のボールです。これが今のボールです。
結論から言うと、これが日本式ティーボールの変遷です。非常に分かりやすいです。
即ち、この協会をスタートした時は、ボールは、11インチ、12インチ、14インチ、そして9インチと4種類でした。ナガセケンコーと一緒になって製作しました。11,12,14インチのボールは全てカポック芯でした。ただし、14インチは中空も用意しました。中空のボールはハンドベースボールやキックベースボールの時に有効だと私は判断したためです。特別に作ってもらいました。しかし、このカポック芯のボールは、ナガセケンコーだけしか製作できず、他のボールメーカーがこの日本式ティーボール市場に参入できないことが分かりました。そこで、協会内部で様々意見を出し合い、どの運動メーカーも参入できる材質で製作するべきとの結論に至り、安価で、日本でも、海外(この場合台湾、中国、韓国、をイメージしました)でも作れるものにしました。最終的には、日本で製作すると、ボールの値段が驚くほど高くなることが分かり台湾製にしました。そこでボールの材質はカポック芯に代わりウレタン(ポリウレタンのこと)が主流となったのです。
ウレタンは、固くも、柔らかくも自由自在に制作できることができます。そこで、反発に関しては、小学4,5年生の男女が塁間14mから16mで楽しく、ヒットあり、エラーあり、ファインプレーありの試合にしたく、数々の小学校を回り実験しました。その結果、今の公認ボールとなったのです。
しかし、我々はこれで満足しませんでした。この日本式ティーボールを通して野球やソフトボール好きを増やしたいと考えると、このボールでは、どうしてもグラブにしっくり入らない、はねすぎるのです。少し軽いのです。そこで、グラブにしっかり入り込めるボールと考えると、ボールを少し重たくし、材質もカポック芯がいいと判断しました。即ち、このボールを自由に扱えると更に学年が進んだ時には、ティーボールから野球・ソフトボールに進んでもらいやすくなると判断したためです。また、そのために、J.T.A.のマークもこのボールのみ浮き出る刻印は不必要としました。
そこで現在では、11インチで重さ150gのカポック芯・ポリウレタンのボールも公認しています。