10月24日 吉田義男氏が1965年の日本シリーズを回顧。同氏から、今年の7月12日にお手紙を頂きました。
今日の日刊スポーツの2面の見出しは、「吉田義男氏が回顧 1965年関西シリーズ阪神VS南海」。吉田義男氏は当時、1番遊撃手として出場し、その年のシーズンは3割1分8厘と活躍しました。当時は「今牛若丸」とも呼ばれ、国鉄の大エース金田投手にめっぽう強い打者としても有名でした。「今牛若丸」とは、歌にあります「京の五条の橋の上、大の男の弁慶が、長いなぎなた振り上げて・・・」それを上手にかわす牛若丸。その俊敏さからその名がつけられました。
吉田氏は、京都山城高校の出身。私のすぐ上の兄と姉から見ると、高校の先輩。特に兄は、吉田氏の妹さんと同級生で、同じ「吉」なので席は隣同士だったそうです。吉田氏のエピソードについて兄は、妹さんからの話を通じて数多く知っています。特に、次の話を兄からよく聞きました。吉田氏が跳び箱の授業の時、一番高い6段を軽々と越え、跳び箱の向こうにマットが敷かれていたのですが、それさえも楽々と飛び越え、体育館の床の上に直接着地したとのことでした。当時から「今牛若丸」と呼ばれたことは、これで皆が納得です。
1964年当時のスターティングメンバーが紹介されていました。1番吉田、2番安藤、3番山内、4番遠井、5番藤井、6番並木、7番朝井、8番辻、9番村山。懐かしい。私はこの9選手の出身校は皆知っています。相手チームの南海のメンバーも同様です。当時私は、近畿予備校で何を勉強していたのでしょうかね。でも、19歳の時の記憶力って凄いなあと今もって感心しています。皆さんは、如何ですか。
さて、その吉田さんから、今年の7月12日に便箋4枚のお手紙を頂きました。その手紙は自宅ではなく、このティーボール協会宛てに送られてきました。
吉田さんは90歳ですが達筆で、一本一本の線が物凄くしっかりしています。圧倒されます。とても90歳の方が書いた手紙とは思えません。若々しいです。この手紙は、来週京都に持って行きます。山城高校の後輩である85歳の兄と83歳の姉に見せようと思っています。「山城高校の先輩やで、あんたらもしっかりしてな」と、私は言うつもり。それ程立派な手紙です。
1985年、その吉田さんが監督の時に阪神のクリンナップの一角を打ったのが今の岡田監督。掛布、バースと共にバックスクリーンへの本塁打を打ったことでも、有名です。私はその時、客員教授としてハワイ大学にいましたので、その3人の連続本塁打は、知りませんでした。阪神が日本一になって、阪神の選手や家族、関係者183人がハワイへご褒美旅行に来た時、吉田さんから聞きました。その時、岡田さんも紹介して頂きました。その岡田さんが率いる今年の阪神タイガース、注目です。
あれから「関西シリーズ」が59年振り、日本一をかけての戦いが38年振り。今週末からの「日本シリーズ」、全国の野球ファンが燃えるでしょうね。
このタイミングで、吉田さんを思い出すことは、最高に楽しいです。今日の日刊スポーツの記事に感謝。また、その記事によると、39年前の第7戦は、東京五輪の開会式に開催されたとか。忘れていました。10月10日、東京の空は快晴。坂井義則さんが聖火の最終ランナー。国民の目は、大阪ではなく、東京ですよね。なんたって東京の五輪は、日本国民の多くがテレビに釘付けでしたから。
今年の「関西シリーズ」と競合するスポーツのビッグイベントはありません。敢えて言うと「野球の早慶戦」。勝ち点をあげた方が優勝、週末は久しぶりに野球三昧です。
日本シリーズが終わったら、吉田氏に手紙の返事を書きます。その内容については、日本シリーズの結果次第ですね。