12月4日 ラグビー早明戦。ソフトボール早学定期戦。伝統・ライバルとは良いものです。学習院OB会長鈴木さんと私は58年間のお付き合い。

 昨日は、ラグビー関東大学対抗の早明戦。先月の早慶戦に続いてのビッグイベントでした。結果は、58対38で明治の勝利。明治の「前へ」が全部員に徹底していました。見事な勝利です。明治の神鳥監督は、「過度なプレッシャーに感じてほしくないと思う反面、人生においても、こんな経験はなかなかない」と、学生たちを信じ、自由に「前へ」を徹底されての勝利でした。一方、早稲田の太田尾監督は、「一番恐れていたシナリオになった」と。気合等が空回りしたのでしょうか。作戦は本当に難しいですね。後半27分から立て続けに5トライを挙げたのは、早稲田の意地を示してくれました。ナイスゲームでした。皆が納得する「ノーサイド」。年末行われる大学選手権では、両校が順調にいけば、準決勝で再び当たります。早稲田の巻き返しか、はたまた、明治が再び勝利するか、大学ラグビーファンにとっては、見逃せない試合となるでしょう。

 さて、この時期は、大学対抗戦があちこちで開催されています。早稲田大学ソフトボール部も例外ではありません。11月26日(日)は学習院と、12月2日(土)は慶應とそれぞれ定期戦を開催しました。早学戦の最高気温は8度、その上、少し風がありました。とに角寒かったです。一方、一昨日の早慶戦は最高気温16度で、無風、12月とは到底思えないほどの温かさ。屋外での球技は、この天候によっても戦術が変わります。

 ここでは学習院戦についての思い出を紹介します。定期戦当日は、学習院大学OB会長鈴木氏(以下鈴木さん)がお見えになり、私と昔話で盛り上がりました。なんせ彼とは昭和20年生まれの同い年、大学では彼が1年上でしたが、何かにつけてライバル、張り合った仲でした。一時期この日本ティーボール協会の参与も引き受けて下さり、早稲田大学国際会議場の役員会にもたびたび出席してくれました。

鈴木さんと私の最初の出会いは、1965年6月6日、多摩川の野球場でした。私が早稲田大学に入学して、約1か月でチームを作り、その1か月後の試合で会ったのです。それは全日本一般男子の東京予選。鈴木さんは2年生で投手で5番、私は1年生で投手で5番、結果は学習院が3対0で勝利。

翌年の1966年春から、学習院の鈴木さんと連絡を密に取り合い、練習試合を度々行いました。学習院と早稲田は、山手線を利用すれば高田馬場から目白まで一駅、歩いても大学から大学まで20、30分で行けます。学習院のグラウンドは緑に囲まれた素晴らしい所です。

当時東京周辺の大学でソフトボールのチーム(同好会なり部)があるのは、日本体育大学と国士舘大学。そこでその4校の大学の主将が集まり、大学ソフトボール連盟を創ろう、全日本大学ソフトボール選手権を開催しようという話し合いをしました。4校の中で教員としてソフトボールを指導される先生は、日本体育大学のお一人のみ、その先生を軸に創設しようとしたのでした。

1966年11月、日本体育大学近くの駒沢公園軟式野球場で、「第1回全日本大学ソフトボール選手権大会」を開催、学習院の投手で5番で主将は3年生の鈴木さん、早稲田の投手で5番で主将は2年生の私。大会結果は、早稲田は3位、学習院は2位、優勝は日体大。

その1か月後の12月に、「東京都大学ソフトボール大会」を早稲田の安部球場(現早稲田大学国際会議場=日本ティーボールセミナーを開催する場所)にて開催。参加チームは、日体大、国士舘、学習院、早稲田の4校。当時早稲田大学野球部監督の石井藤吉郎氏もグラウンドにお越しくださり、そこで大会を開催したのでした。これが、現在の「東京都大学ソフトボールリーグ」の始まりです。

それから5か月後の1967年5月3日に、目白の学習院大学グラウンドにおいて、早学定期戦「春の部」を開催。その年から春は5月3日、秋は11月3日に定期戦としたのでした。

大学卒業後も鈴木さんと競ったことがあります。それは1970年代お互いが「ソフトボール」の単行本を出版しました。共に大変なベストセラーになり、今では考えられないほど売れました。日本国内にソフトボールブームが巻き起こったのです。その関係もあり、1977年ベースボールマガジン社から「ソフトボールマガジン」が月刊誌として創刊されると、我々二人は共に連載を任され、執筆活動においてもライバルでした。

1971年、私がアメリカ・ソフトボール・オールスターの一員で帰国した時、日本で最初に試合をしたのは鈴木さんが投手を務めていた埼玉県庁。結果はアメリカ(ハワイ中心)の勝利。これも共通の思い出。

現在鈴木さんは、埼玉県ソフトボール協会会長。私は東京都ソフトボール協会の特別顧問。お互いに地元とソフトボールへの愛着は人一倍強いです。別れ際に二人は、「ソフトボールの底辺拡大をもっともっと真剣に行わないと、近い将来、大変なことになります」で一致。

鈴木さんのソフトボール歴は約58年。私は、広野幼稚園園長の長兄からの指導で6歳からなので72年。これでは寒さも、試合の展開もお構いなし。

今日は旧友鈴木さんと私の熱い「早学定期戦」でした。