12月24日 西東京市ティーボール連盟の忘年会に参加。大学は地元に対して様々な貢献をすることが最も大切と力説しました。

 昨日夕方5時から、西武新宿線田無駅近くの飲食店において、日本ティーボール協会西東京市連盟幹部の皆さんの忘年会が開かれました。私も出席させて頂きました。これは一週間前に、「東京東大和ライオンズクラブ結成45周年記念」に出席した折り、山田西東京市市会議員と初めてお会いし、お誘いを受けたのがきっかけでした。その山田市議の父上は、私が財団法人西東京市文化・スポーツ振興財団理事を務めさせて頂いていた時の東京都都議会議員。その関係もあり、大変仲良くさせて頂いていました。西東京ティーボール連盟でも多くのご貢献を頂いていました。

 一週間前、山田市議から名刺を頂いたとき、「西東京市」「市会議員」「山田」とありましたから、すぐにピーンと来ました。あの山田先生(都議)のご子息?やはりそうでした。ご本人は、西東京市ティーボール連盟専務理事としてご活躍されているとのこと。これを聞くと、その「忘年会」には何としても行きたくなります。その席において、ティーボール協会で一緒に活動した大塚市議はお元気ですか?と私が質問。市議は即答です。その忘年会に父も大塚市議も呼びましようと。

 昨日はそのようなわけで、4人テーブルには山田元都議会議員、大塚元市議会議員、そして小川会長と私が座りました。小川会長とは、もうかれこれ25年のお付き合い。少年野球連盟の重鎮として活躍されました。西東京市ティーボール連盟が、少年野球協会とソフトボール協会が一緒になって設立された時の中心人物です。年齢は私より7、8年上。まだまだお元気です。

 この4人が集まると、25年ほど前の設立当初の苦労話。そして、何より2013年に開催したスポーツ祭東京(第68回国民体育大会)での思い出話に花が咲きました。当時東京都から、「デモンストレーションとしてのスポーツ行事ティーボール」として採用して頂いたのが西東京市と東村山市、私はどちらの市においても準備委員会委員として参加。日程は西東京市が9月15日、予備日が29日。東村山市は21日、予備日が22日でした。

 西東京市の会場は、早稲田大学の東伏見キャンパス。ここには硬式野球場、軟式野球場、アメリカンフットボール場、サッカー場があります。その全てが新しい人工芝のグラウンド、そこで大々的に行う予定でしたが、当日は雨のため延期となってしまいました。選手と関係者は大きなショックを受け、大会は予備日の29日となりました。

早稲田のグラウンドをお借りできるのは1日のみ。体育各部(運動部)は、他大学との公式戦、練習試合、講習会等の様々な予定を入れています。予備日までグラウンドを空けてもらうことは出来ませんでした。早稲田大学で何回か予行練習の重ねてきたのですが、残念でした。

 そのため、大会会場は市民グラウンドと向台運動場。会場が変更されると、運営者・管理者は大変です。ティーボール連盟の方々のみならず、参加する選手、引率者、学校関係者、医療班、審判団の手配、様々な裏方、ボランティアの方々、小川会長以下、ティーボール、少年野球とソフトボール関係者、それはそれは皆さん忙しかったです。その苦労話は盛り上がりました。

 私は、その会において挨拶の指名を受け、次のような話をしました。「私はこの西東京市(当時は田無市)東伏見の軟式野球場に初めて来たのは予備校生だった昭和39年(1964年)。1年後入学してから、4年の間に、サッカー、陸上競技、ソフトボール等の授業を受けて卒業。この土地には青春の思い出があり、尚且つ物凄い愛着があります。

昭和50年(1975年)から教員生活が始まり、在籍41年の間、このキャンパスにおいて「ソフトボール」の授業(実技)を担当しました。教えた学生は2万人を超えます。西東京市の皆さんの多くのご好意でこのような素晴らしい教育活動が出来たのです。住民の皆さんには心から感謝しています」と。

更に、「私は地域の方々と大学は共に歩まなければ、それぞれの発展はないと思っています。早稲田大学の野球場が西早稲田にあった時、地元の商店街の皆さんに早朝野球を行ってもらうためにグラウンドを開放していました。そのためか、神宮で優勝すると地域の皆さんは仕事を中断してその選手たちを迎えてくださるのでした。西東京市で育てて頂いた名選手は数多くいます。私と同級生の吉永小百合さんは馬術部。サッカー部では川淵三郎氏、釜本邦茂氏、加藤久氏、岡田武史氏、西野朗氏、数え切りません。野球部でも和田毅選手、鳥谷敬氏、青木宣親選手、斎藤佑樹氏、まだまだ沢山おられます。これらの選手達は皆、この西東京市において汗をかいて育ったのです。彼らは、この土地を誇りに思っています。全員が地元の皆さんにお世話になったと感じています。地元と大学が連携することは、極めて大切なのです」と。

まだまだ続きます。「私もこの西東京市では、大学のソフトボールの授業だけでなく、地域において、数多くティーボールやソフトボールの講習会を開催させて頂きました。ある時は指導者、ある時は国体代表選手達、学校では、小学生、中学生、高校生に皆さんに対してです。この考え方に関しては、私が住んでいる東村山市、職場だった新宿区、所沢市においても変わりませんでした。今後も現役でご活躍の皆さんは、今の早稲田の教職員の方々と仲良く連携してくださることを願います。因みに毎年9月にこの東伏見キャンパスにおいて、『早稲田大学スポーツフェスタ』が、大々的に開催されていますが、そもそもこのスタートは、10数年前、硬式野球部OBで競技スポーツセンターの職員さんが、所沢キャンパスの私の研究室に来られて、『西東京市の少年少女のために硬式野球場を使用してティーボールを行いたい、協力してほしい』。私は「それは素晴らしい、是非一緒にやりましょう」。これがスタートだったのです。ですから、今もって硬式野球場では、地元の少年少女の皆さんを対象に、ソフトボール部員が所沢から来て、ここでティーボールの指導を行っているのですよ」といった話に、熱心に耳を傾けていただきました。私自身も、かなり情熱的に語りました。

 スポーツを通して地域と大学が一体となって、ウイン・ウインの関係を築くこと。これがお互いに最も大切である、と強調したのでした。山田専務理事、お父上、大塚元市議、小川会長、西東京市ティーボール連盟の重鎮の皆さん!ありがとうございました。楽しかったです。