7月12日 平安学園関東同窓会会長として母校に行って参りました。話の内容は、西本願寺、野球、ティーボール・・・。京都でティーボールが更に普及する予感。

 今年の1月20日平安学園関東同窓会(以下同窓会)が開催され、今まで副会長であった私が会長を引き受けることになりました。大変名誉なことと感じています。

この同窓会は、平成11(1999)年の「平安学園同窓会報」によると、「関東支部発足 関東平安同窓会開催される」とあり、その準備会幹事に昭和39年卒吉村正の名前が記されています。そして、その総会会場は、早稲田大学の地元、高田馬場駅の「BIG BOX9F」。

私への気配りが嬉しかったのでした。

その会報のトップページの記事が私でした。

見出しは、「憧れの平安高校野球部」昭和三十九年卒 吉村正 早稲田大学教授

その時に投稿した記事の一部をここで紹介します。

「私が正親小学校六年生の時、兄に連れられて島原口の平安高校を訪れた。そこで見たグラウンドやバックネットは、感動的であった。高校は絶対『平安』に行こうそう決めたのである。(中略)私は第六十九回選抜高校野球大会、また第七十九回全国高校選手権大会で平安が勝利するたびに甲子園へ応援に行った。そのたびに応援している生徒と交渉して、『HEIAN』の帽子を頂いている。小学校六年生の時に兄に連れられて平安に行った時の気持ちにいつもなれるのだ。」(後略) 

 その記事から約25年がたち、今月7月9日(火)16時に京都の平安高校に行って参りました。東京からは平安関東同窓会幹事長と私。訪問の目的は、就任の挨拶と今後関東同窓会をいかに運営するかなどの様々な件で、校長先生、副校長先生、前校長先生、同窓会副会長、並びに事務長や日頃からお世話になっている同窓会担当の職員の方々からアドバイスを頂こうと思ってのことでした。

この会合は、当初は3月4日(月)の予定だったのですが、その時は私が入院していて延期に。野球でいえばワンストライク。退院後、次に約束をしたのが6月18日。これも急遽、野球の底辺拡大を検討するための重要な会議が入り、これまた延期で、ツーストライク。そして、この度の会合は、結論から言うとツーストライクからのホームランとなりました。

素晴らしい実り多い会合でした。以下、皆さんに報告いたします。

 待ち合わせ場所は、平安高校の元校長室、現在の副校長室。入れ替わり立ち代わり平安高校の先生が挨拶に来られます。野球の話が多いです。教頭先生が来られました。もちろん初対面です。話を聞くと、F先生(元野球部長)の息子さん。そして、先生の叔父さんが私と同級生。お寺と昔の野球話で盛り上がります。さすが平安高校は西本願寺系、それと野球です。

 平安高校は、甲子園の出場回数は76回と全国一位、最多出場。そのうち夏の甲子園での優勝は3回、準優勝は4回。私の高校時代までは「平安は夏に強い」という評判でした。ところが、2014年の春の大会は、現在ヤクルトスワローズのエースの高橋圭二投手等の活躍があり初優勝、春も強い平安となりました。

2018年には、第100回大会において、甲子園100勝という金字塔も達成しました。

 その平安高校が、2003年男女共学となり、その折「なぜ共学に?」と当時の校長先生に聞くと、「野球が弱くなり、男子校だと生徒が集まりにくいから…」と説明され、私は納得。

「元校長先生、ナイストライ!」。

2008年4月1日より、現在の校名である龍谷大学付属平安中学・平安高校に改称。平安高校は前へ、前へと、時代ともに進みます。

 平安高校の前身は金亀教校と言い、1876(明治9)年に滋賀県彦根市に西本願寺系寺院の子弟教育のために創設されたことから始まります。そのため、今もって宗教教育はとても大切にされています。

来年2025年は創設150周年を迎えるため、職員の名刺には「150周年記念事業担当」の肩書も記されています。

「野球を盛り上げよう!」「ティーボールを応援しよう!」「オープンスクールを成功させよう!」「小学生に野球の楽しみを知ってもらおう!」「宗教教育を通して人間力を高めよう!」「OBでフェンシングのオリンピック選手が出ています、彼を応援しよう!」「2003年から共学になった、同窓会にもっと女性を!」

このメンバーだと話は尽きません。夜9時にひとまず解散。そうそう、夕食を頂いた木屋町の鴨川沿いの料亭も、経営者は親子2代の平安高校卒業生。同窓会は最高です。

京都のティーボールもここから更に発展する予感。夢が広がる京都の会合でした。