12月4日 12月8日開催の「早稲田大学ソフトボール部(同好会含む)創設60周年記念祝賀会」の資料作成に追われました。
12月8日、リーガロイヤルにおいて、「早稲田大学ソフトボール部(同好会含む)創立60周年記念祝賀会」を開催します。当日は、特別参加者として、東京、埼玉、神奈川、千葉のティーボール連盟の重鎮がそれぞれ二名ずつ出席していただけることになっています。とてもありがたく思っています。
ソフトボール部関係者、即ちOB・OG、現役とその保護者、更には、大学のライバル校からの部長先生、監督等、総勢250名ほどの祝賀会となります。通常このような体育各部(運動部)の周年行事においては、他の運動部の代表委員の皆さんにもお声かけするのですが、今回はソフトボール部の関係者のみで開催することにしました。
さて、その会での私の役割は、会の最後にスピーチすることになっています。今日の午後はその資料作りに追われました。60年の歴史を知る人物は、私しかいないものだからです。以下がそのスピーチのメモとなります。
1.1950年、5歳の時に、兄の指導の下でソフトボールを始める。
2.1955年から少年補導委員会、青年会、体育振興会(体振)の3団体それぞれの「町内対抗ソフトボール大会」に参加する。
3.1959年、小学校6年生の時、自宅隣の西陣署のグラウンドでMP(ミリタリーポリス)がウインドミル投法を用いてソフトボールを遊んでいたのを目撃する。(その投球の速さとダイナミックな投法に衝撃を受ける)
4,1961年、中学3年生の時、ハワイのAJAソフトボール団が京都に来る。それを観戦。ヘンリーホンダさんのウインドミル投法のピッチングにまたまた度肝を抜かされる。
5.同年、体振主催京都府ソフトボール大会で準優勝投手となる。
6.1962年から1964年まで、平安高校硬式野球部で活動する。
7.1965年、早稲田大学入学と同時に、ソフトボール同好会を創設する。
同年5月に、日本体育大学と練習試合を行う。
同年6月に、学習院大学と公式試合を行う。
その年の秋、早稲田大学の全学連と一緒になって学内対抗ソフトボール大会を開催する。約150チームが参加し、我がソフトボール同好会が優勝する。同好会が大学の代表として認められたと勝手に判断する。
8.1966年11月、日本体育大学、学習院大学、国士舘大学等と協議して、「第1回全日本大学男女ソフトボール選手権大会」を駒沢軟式野球場にて開催する。
翌月12月、早稲田大学安部球場にて、「第1回東京都大学ソフトボール大会」をスタートさせる。参加大学は、日体大、学習院大、国士舘大、早稲田大の4校。
9.1967年、早学定期戦をスタートさせる。春は5月3日、秋は11月3日に、学習院大学の目白グラウンドで開催する。
10.1977年、早稲田大学女子ソフトボール同好会を創設(吉村正会長兼監督)
11.1989年、早稲田大学ソフトボール部誕生(小山宙丸部長・吉村正監督)
12.1991年、早稲田大学女子ソフトボール同好会が部に合流する。(冨田正利部長・吉村正監督)
13.以後、34年間、早稲田大学ソフトボール部(男女)の監督か総監督として指導を行う。
14.現在は、男女の総監督を務める。
このメモを基にして、当日スピーチを行う予定です。