2月20日 日中青少年野球ソフトボール協会設立記念式典が開催されました。
2025年2月17日港区赤坂において、「日中青少年野球ソフトボール協会設立記念式典」が16時から18時まで2時間かけて開催されました。
総合司会は、奥山専務理事兼事務局長。テンポよく式典は進みました。
最初の挨拶は、協会会長である高原氏、続いて何理事長兼副会長。お二人とも見事な日本語での挨拶。内容は挨拶だけでなく、この協会が創設されるまでの経緯等をお話されました。3番目は私で、以下に添付した内容で自己紹介したり、早稲田大学を紹介したり、野球やティーボールは笑顔でプレーしましょうと挨拶しました。
その後は、奥山専務理事がこれまで行ってきた日中間の野球の交流実績を説明。それらは、選手育成キャンプ、交流試合、合同合宿、甲子園見学ツアー、投手育成プロジェクト、日本留学の推進、指導者養成キャンプ、チーム強化プログラム等であったとのこと。とても充実した、楽しい報告でした。
この設立総会では、様々な分野の方々と名刺を交換しました。少し紹介しましょう。
日中文化観光交流協会、日中教育国際交流協会、中華人民共和国駐日本国大使館のお二人。日本サイドではほとんどが知り合いでしたが、横浜DeNAベイスターズの方が印象に残りました。それは、横浜には中華街があることから、相互に連携を図ろうとお越しになったのでした。グッドアイディア!
このような連盟が発足出来たのは、昨年中国からの小学生を早稲田大学所沢キャンパスに2度お迎えして、ソフトボール部の部員達とティーボールを楽しくプレーしたこと、それとティーボールの前後の交流会。加えて、そのメンバーたちが8月20日に開催したベルーナドームでのティーボール交流大会に参加されたこと。それらの実績によってこのような形で協会がスタートできたのでした。
今後の発展が楽しみですね。奥山専務理事兼事務局長、頑張って下さーい!
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【ご挨拶(吉村正)】
日中青少年野球ソフトボール協会の設立、誠におめでとうございます。
この協会を立ち上げるまで、強い指導力でお導きくださいました高原会長、何理事長、誠にありがとうございました。そして、この協会の設立にご尽力とご協力いただきました中国の関係者の方々に対して、心から敬意を表します。ありがとうございました。
一方、日本側におきましても、奥山専務理事、高野常務理事、それに関係者の皆様方のご理解とご協力があって今日の素晴らしい日を迎えることができました。
皆さん!本当におめでとうございます。
正に、日本と中国が野球を通して一つとなり、これから前に進もうとしております。
皆さんの強い「野球愛」が、この協会の設立の源となったのは言うまでもありません。
私は母校早稲田大学で、「国民皆ベースボール」の研究と実践を41年間行ってきました。その早稲田大学の教職員と学生は、中国の皆さんを心から愛しています。
私も中国が大好きです。
早稲田大学は、中国が「清の国」と言われた時から、留学生を数多く受け入れています。それから100年たった現在でも、毎年1000人近くの中国人留学生が学びに来られています。中国の国家主席が日本にお見えになったら、間違いなく早稲田大学の大隈講堂で講演をなさるのです。
その早稲田大学で、我が家は親子5代お世話になりました。祖父、父、私、娘の4代。加えて昨年兄の孫が早稲田大学を卒業。早稲田5代となりました。
我々早稲田5代は全て中国のファンです。中国を心から愛しています。
さて、ここで自己紹介をさせて頂きます。
私が中国の塁球のナショナルチームと出会ったのは1977年、今から約48年前のことでした。日中国交回復後、スポーツではまずピンポン外交からスタート。その1、2年後に、野球とソフトボール外交へと進んだのでした。
その第1歩として、ソフトボールの中国ナショナルチームが日本に来日しました。その最初の試合が、新宿区にあった早稲田大学安部球場で行われました。皆さんへお渡しした資料をご覧ください。
(余談ですが、その野球場で爽やかな汗を掻いた往年の名プレイヤーが本日出席されています。國定さん、谷田部さん、清水さん、そして奥山さん)。
中国と早稲田大学の関係が極めて良好だったので、日本での第1試合として早稲田大学が指名されました。
「中国チームのお世話を頼みます」と、大学本部から私に連絡がありました。当時私はまだ32歳、いくらその頃ソフトボールの本のベストセラーを4、5冊執筆していたとしても、「前面に出るのはちょっと…」と思いました。そこで私の大学の先輩で神田女子高校のソフトボール部部長だった御喜正先生にテレビの解説をお願いし、私は安部球場のグラウンドキーパーをさせていただきました。それが、中国側に大いに評価されたのでした。
その後、中国側からソフトボール(塁球)というと、私に相談されるようになったのでした。
1996年のアトランタ五輪の前に、私はベースボールマガジン社発行の「ソフトボール・マガジン」において、「アトランタ五輪に向けて、吉村正の目」を約3年半連載しました。その折、中国のエース王投手、中国の強打者の紹介、技術指導等を紙面で行わせて頂きました。
そのようなこともあり、それから約10年後の2009年から6年間、中国教育学会棒・塁球の国家委員に外国人として初めて任命されたのでした。
中国政府から大変大きな名誉を頂いたこと、今でも深く感謝しています。
さて、過去の球歴はこれくらいにして、これからこの「日中青少年野球ソフトボール協会」はどのように進むべきか?について述べたいと思います。
私は、ここで皆さんにお願いしたいことがあります。
それは、「日中の指導者の皆さん!野球・ソフトボール少年少女から『笑顔』を引き出してください」ということです。
子どもの「笑顔」は世界の宝です。人類の宝です。指導者の皆さんは、それを忘れないでください。そのためには、先ず指導者から「笑顔」になることです。そうすれば、青少年、即ち選手はきっと「笑顔」になるでしょう。野球をプレーして「笑顔」が多かった選手は、更に上手になれます。間違いありません。彼らが大人になってからも野球を愛し続けます。
「笑顔」は社会に出てからも役に立ちます。日中間で難しい問題が生じても、何事も「笑顔」で話し合えば、良い方向に向かいます。
「日中青少年野球ソフトボール協会」は、日本ティーボール協会のキーワード、「笑顔いっぱいティーボール」これをぜひ参考にしてください。
「笑顔いっぱいで野球をしよう」「笑顔いっぱいでソフトボール。ティーボール」。
子どもたちの中で野球・ソフトボールが難しいと思ったら、「笑顔いっぱいティーボール」。
さあ、本日お集りの皆さん!この協会を「笑顔あふれる日中青少年野球ソフトボール協会」にしましょう。
そうそう!このキャッチフレーズで行きましょう!
ありがとうございました。
2025年2月17日 吉村正
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