1月31日 両親に感謝・感謝。兄弟姉妹合わせて495歳。京都府宇治市に集う。来年は500歳越え、お陰様で皆元気です。

 1月27日、私の兄弟姉妹計6名が京都府宇治市黄檗に集まりました。その6名の年齢の合計が何と495歳。長兄88歳、長姉87歳、次兄85歳、次姉83歳、弟74歳、それに私の78歳。

コロナ禍までは、正月2日に兄弟姉妹は集まっていたのですが、ここ4年程この会合は中止でした。そもそもこの会合は両親が健在の時、京都市の実家に家族3代が集まって、その年の最初の挨拶をするという習慣から来たものでした。

ここで私の兄弟姉妹を簡単に紹介します。

長兄は広野学園広野幼稚園の園長兼理事長、そして広野保育所も理事長。日本で最初の人工芝の「ティーボール球場」を造った理事長です。そこで丸山先生を東京から呼び日本最初の「幼児のためのティーボール教室」をスタートさせました。今日では、小西美加先生がその「ティーボール教室」を引き継いでくれています。30年前に日本ティーボール協会京都府連盟を創設した時の「連盟顧問」でもありました。

次兄は、「堀池幼稚園」の園長兼理事長。若い頃は滋賀県でホテルマン。趣味はマジックと腹話術、今でもあちこちの宴会でマジックを行っています。その芸名は「チャーリー・吉村」このチャーリーは、「チャイルド・リーダー(子供の指導者という意味)」から来ています。高校の先輩阪神タイガースの吉田義男氏から「阪神タイガースのパーティーでマジックをしてくれとお願いされ、引き受けた」と、いつも自慢げに語っています。

1月27日当日も、会の終わりにはそのマジック。兄弟姉妹はそれに慣れっこです。芸歴55年、当年85歳ですから動きは以前ほどシャープではないですが、経験豊富。見せ所、落とし所は完璧です。レパートリーは多いです。本日のマジックは15分ほどで終了しました。彼曰く「マジックは世界共通。ヨーロッパで行った時も拍手をいっぱいもらったよ」と。もう10回以上聞いたことをまた言っていました。

この次兄は、京都ティーボール連盟の常務理事も務めてくれました。その関係もあり、「小西美加先生のティーボールスクール」のために園庭を開放してくれていました。以前もこの「理事長からのメッセージ」で紹介しましたが、「日本ティーボールセミナー」の時も、大掛かりな道具を使って、講演の合間にマジックを行ってくれました。

弟は、ワンダーフォーゲルの選手でした。休みとなると滋賀県、岐阜県、長野県等の登山に重い荷物を背負って、嬉しそうに家を出て行きました。持久力と忍耐力が抜群にあります。現在は広野保育所の所長。長兄と同じ職場で、幼保一元化を実践、辛抱強く仕事を続けています。頭が下がります。「小西美加先生のティーボール教室」については、良き理解者でもあります。

長姉は、おっとりした性格で、子どももおおらかです。20年程前から足を悪くして、杖を突いてのウォーキング。ところが先日お会いした時その杖を突いていません。「どうしたの、大丈夫?」と質問すると、「プールで週3回、1日1,000メートル背泳で泳いでいる、だから元気になったの」という返事。凄いなー、

でも、赤いハートとプラスの「ヘルプマーク」を持っていました。

「ヘルプマーク」というと、この「理事長からのメッセージ」でも何回か紹介しましたが、次姉の活躍には、頭が下がります。自分が体調を壊し、その関係で今日ある「ヘルプマーク」が世にあると良いなあと考え、日本中を調べてみると、東京都にありました。そこで、東京都をはじめ全国47都道府県の知事、府会議員、都会議員、県会議員、市会議員、厚生労働省の役人、健康福祉課の役人、片っ端から手紙を書きました。それぞれの関係者と会い説明しました。その数数えきれません。

東京都の次にこの「ヘルプマーク」が採用されたのは、京都府でした。今は47都道府県全域に広がったので、次姉の戦いは、終了したとのこと。それにしてもよくやったなあ。それに、よく喋ります。口は、元気過ぎるほど元気です。ありがたいです。

この姉二人の話が多く、長いです。我々男衆は呆れるようにして、静かに聞いていました。

 帰り際、次姉からお土産として「黄檗宗大本山満福寺、ほていさんせんべい」を5個、私は東京ばな奈「見いつけたっ」5個。次兄からは先ほどの「マジック」がお土産?

495歳。皆元気です。ありがたいことです。長兄、次兄は幼稚園を陣頭指揮。弟は保育園を静かに温かく運営します。姉二人は、あこが痛い、ここが痛いといっても元気です。

残る私も日本ティーボール協会の会員に皆さんに囲まれて、元気でティーボールの普及活動に携われています。元気です。両親に感謝。

次回6人が合うときは8月のお盆。墓参りです。「皆さん元気でね、また夏お会いしましょう」、が別れの挨拶でした。

そうか!来年6人が合うときは、500歳を超えるのか。またまた、両親に感謝。