1月3日「どか点ゲーム」、スタートの秘話
昨日は、「メジャーリーグ・ゲーム」が、京都周辺で行われていた「太鼓ベース」、「たいべん」からヒントを得てこの名称を用いることにしたと紹介しました。
今日は、「どか点ゲーム」がどのようにして、誕生したか紹介しましょう。お正月ですから。
これは、誰をおいても、協会理事久保寺千広先生の功績が1番です。
今から12年前、「笑顔いっぱいティーボールの教材を作る会」を立ち上げ、全国の約30人ばかりの私の教え子で小学校の先生をしているものに、小学校ではどのような野球型球技が効果的か私に教えてください、という伝令を下しました。そこで集まったのが約50種類のゲームと練習法。原稿用紙にすると300枚ほど、それを私が厳選して7,8種類30枚くらいにしました。
そこで第一回の上記の会合(教材を作る会)を、私の研究室および実験室で行いました。小学校の先生代表は頼住先生、久保寺先生、吉田先生、石田先生らがおられました。大学からは吉永先生、一之瀬先生と私、関東近辺で教職についているものが集まりました。そこから、何をどのように厳選するか、文字が多すぎると先生方は読まない可能性が高い、イラストを誰に描いてもらうか、指導案の模範解答を誰が書き、どのように掲載するか、多くの議論を重ねました。そこで絞り込んでいったのが、まずは、キャッチボール、フリーバッティング、ベースランニング競走、ホームラン競争、三角ベースの試合、正式なティーボールの試合これらは絶対外せませんでした。野球の基本が入っているからです。そこで、最終的に遊びのゲームとして残したのが、前述の「太鼓ベース」です。
そこでもう一つ、ここで、久保寺先生の出番です。彼曰く、「一塁一点ゲーム」これは小学生でとても盛り上がります。彼は、文教大学のソフトボール部出身、小学校の先生になりたくて、この道に進んだ方、この道ではプロ中のプロです。私も一目置いています。そこで私曰く、「久保寺先生このゲームは、とてもいいですねえ。でもネーミングがいまいちだと思います。どうですか、点数がドカッといっぱい入るのだから、「どか点ゲーム」としては」久保寺先生も大きくうなずき、先生提案の「一塁一点ゲーム」は「どか点ゲーム」として2009年日本に初めて誕生したのです。今、それが、国民体育大会で、読売ジャイアンツはじめプロ野球OBの方が小学校のゲストティーチャーとしていかれた時も、我々講習会でも、幼児や小学生1・2年生の大会でもこの遊びが、ゲームが広く採用されています。凄いことになっています。久保寺先生の提案と貢献は偉大です。
実は、私は今から45年ほど前、早稲田大学体育局の教員になりたての頃は、年間ソフトボールのクラスを9コマ持っていました。それが12年間続きました。1クラス定員60名でしたから、年間560人の学生を教えたことになります。それを12年間続けたので、私の一般体育でのソフトボールの教え子は12年間で約6,000人。その後人間科学部に移り講義が多くなり、実技は4コマ、240人×29年で、約7000人計1万3,000人。ソフトボール部の教え子は約1,000人、ゼミ生(健康福祉マネジメント)は300人です。彼らを対象に次のような、レポートを書かしたことがあります。それは、「君たちが小学校のころどのような野球型スポーツで遊んだか書きなさい」というもの。早稲田の学生は、ご存じのように全国から集まっています。それ等のレポートは私がこのティーボール協会を立ちあげる際、あるいは、この教材を作成する際に、それは物凄い参考になりました。そこには、「太鼓ベース」に似たもの、「どか点ゲーム」に似たものが沢山ありました。勿論、「ハンドベースボール」もありました。
子供の創造力って凄いなあといつも感心させられていました。今そのレポートは、まだ残してあります。貴重な財産です。
さて、今日の主役久保寺先生ですが、今は総括教諭という偉い役職に就きながらのご指導です。彼は、その専門家でもあるので、小学体育に関した大事な時はいつでもメールをくれます。例えば、1998年、日本式ティーボールを小学校の学習指導要領に入れたとき、「おめでとうございます」というメールは彼が一番早かったですね。その時の文部省からの文面は、ベースボール型「ゲームの例」で「止まっているボールを打ったりするゲーム」でした。そのころは、それがまだまだ多くの人が、それが「ティーボール」であることを知らない時です。嬉しかったですねえ。分かってくださる方が近くにいてくださるということは。また同様に、2008年、ベースボール型球技で初めて「ティーボール」という固有名詞が使われた時も誰よりも早く「おめでとうございます」のメールを頂きました。
今日は、久保寺先生発「どか点ゲーム誕生」と「おめでとうございます」のお話でした。