10月17日 クリケットがロスアンゼルス五輪の追加競技種目に決定。その簡易化版がラウンダース、スターターゲームがT-ballです。

 10月16日国際オリンピック委員会(IOC)は、インドのムンバイで総会を開催し、28年ロスアンゼルス五輪の追加競技としてクリケットが承認されました。この総会では同時に、野球・ソフトボール・スカッシュ・フラッグフットボールも追加競技として承認されました。ティーボール関係者としては、グッ・ニュースを頂きました。

 クリケットは、イギリスの国技です。そのため、イギリスに関係の深い国々では、この球技は広く普及しています。特に、今回IOCの総会が開催されたインドでは、イギリス以上に普及しているといっても過言ではありません。この決定を聞いたインド国民の喜びはどれほど大きかったか容易に想像できます。お隣のパキスタンも、南のオーストラリアも、クリケットの強豪国として有名です。

 私は、このクリケットのスターターゲームは、ティーボールだということを知っています。その証として、2010年1月に、「『世界のティーボール』―日本発ティーボールがアジアへ、そして世界へ―」を私の研究室から出版しました。その33ページに「イギリスのティーボール」、その簡易化版がラウンダース、そのスターターゲームがT-ballとして、写真入りで紹介しました。

 私は早稲田大学教授時代、早稲田大学ワイバーンズ・クリケットクラブ(以下、クリケット同好会)の会長を20年近く引き受けていました。その関係もあり、イギリスからクリケットの単行本を5冊取り寄せ、熟読していたのでした。日本ティーボール協会の事務所には、イギリスから輸入した本物のクリケットバットとボールも飾っています。事務所にお越しになった時は、ぜひご覧ください。

 私とクリケットの最初の出会いは、1969年です。ハワイ留学中にハワイ大学の中にあった東西文化センターに留学生のインド人やパキスタン人が、アメリカ本土から来た学生たちがソフトボールを楽しんでいる横で、スロアー(投手)が肘を曲げずに剛球を投げるのです。「この球技、凄いなー、そして危ないなー」これがクリケットを観た時の私の第一印象でした。

 また、1991年に香港で開催されたローンボールスの国際大会に、二人の甥っ子と3人で参加しました。そのとき、隣の広大なグラウンドにおいてクリケットをイギリス人と思われる選手たちが全力でプレーしていたのです。思い出されます。

クリケット同好会の会長を務めていた時、早稲田大学の所沢キャンパスのスポーツホールにおいて、関西の大学を呼んでクリケットの室内版・簡易化版ともいわれる「カンガ・クリケット」の大会を開催したこともありました。クリケットを普及したいと熱望していた関西の先生とスクラムを組んでのことでした。盛り上がりましたね。

2011年1月22日に早稲田大学国際会議場において、「―学校教育の中でのティーボールがアジアへ、世界へー」というタイトルでティーボールセミナーを開催した時、基調講演Ⅰは吉永武史先生でした。その講演の中で吉永先生は、「(前略)滞在中、オーストラリアの人々のスポーツを愛好する態度をあらゆるところで感じました。そして、初めて訪れたところがクリケット場。これがその時の写真ですが、ゆっくりしたゲーム展開にもかかわらず、観客が1球1打に挙げる歓声には、驚かされました。オーストラリアでは、クリケットを中心にベースボール型のボールゲームが体育の授業でも採用されています。この写真は、体育におけるボールゲームの学習指導に関するテキストの表紙なのですが、この中には、バッティングティーを使ったベースボール型のゲームが紹介されています。これは正にティーボールであって、このボールゲームが国際的にも普及している(後略)」と述べておられました。

このセミナーの時、特別ゲストとして、早稲田大学クリケット同好会の二人の女子選手をタイミングよく、招待していました。それは、その年の「クリケットのアジア大会」において銅メダルを獲得したからでした。このことは2011年12月に発行した「第18回日本ティーボールセミナー」の冊子に詳述されています。是非ご覧ください。

このように、日本ティーボール協会では、クリケットを上記のように紹介し、そのスターターゲームがティーボールであると、多くの野球・ソフトボールの関係者に説明していたのです。今回、このクリケットがイギリスのロンドン五輪で採用されたのではなく、アメリカで128年振りで採用されたのです。不思議なめぐり合わせです。本当に良かったです。

この度の決定、クリケット関係者と同様、その球技のスターターゲーム=ティーボールを世界に広めようとしている我々としては本当に嬉しい限りです。バンザーイ‼

(野球・ソフトボール復活の関しては、また次の機会に)ではまた。