10月27日 石山顧問、岩浪副会長、土方常務と私。4人の野球談議に終わり無し。岡田阪神監督の話題でも盛り上がりました。

 昨日17時30分、石山顧問と岩浪副会長、土方常務と私の4人は、所沢駅改札口で待ち合せ。集まった目的は、3つありました。1つは夏の「文部科学大臣杯争奪全国小学生ティーボール選手権大会」の会場費が、年々上昇することについて、2つはこの大会を西武ライオンズ球団と一緒の開催(共催)出来ないか、その可能性はあるかどうか? 3つは楽しいプロ・アマ問わず野球談議です。

 1ならびに2に関しては、私は石山顧問に全国大会の関する多くの資料を示しながら説明。石山顧問は真剣な表情で耳を傾けてくださいました。この話はこれで終了。頭脳明晰、理解力抜群、経験豊富、野球界では別格の方です。その後は、野球談議でリラックス。大学では早稲田大学野球部監督、社会人ではプリンスホテル野球部監督、プロ野球では読売ジャイアンツの編成部長を務められました。知識と経験と教え子の数では物凄いものがあります。私は今すぐにでも、日本の「野球殿堂」にお入りになるべき大人物と思っています。

 石山顧問にお会いするや否や、大学時代の愛弟子岡田阪神監督について語られた新聞記事を渡されました。その記事では、「今も昔も岡田が最強」「独自の『勝負勘』は凄い。選手の“今”を見る眼力、観察力は今のプロ野球界では1番」と語られています。昨日の野球談議でもその点には触れられていました。納得・納得でした。

 1974年に、石山顧問は早稲田大学野球部監督に就任されました。私が早稲田大学体育局に助手として採用された年が1975年ですから、その1年前のことでした。石山顧問と私はほぼ同時期に早稲田大学に戻ったことになります。石山顧問は就任してすぐに東京六大学春季リーグ戦において優勝、同年に開催された日米大学野球では日本代表監督をお務めになられました。当時私は、先輩教授の授業や研究の補佐、会議での議事録作成、論文・評論等の執筆等で、休むことなく仕事(研究・教育)を行っていた頃でした。

 当時、東京六大学には、あの怪物江川投手が法政大学野球部にいて、早稲田大学野球部は苦戦の連続でした。それを石山顧問は、当時下級生だった岡田、金森等を鍛え上げ、ついに1978年秋季リーグにおいて天皇杯を奪還したのです。その時岡田選手は三冠王を獲得。そこで退任。その翌年、1979年からプリンスホテル野球部の助監督に就任、1985年から1994年迄監督を務められました。その時の教え子は多士済々。彼らは現在のプロ・アマ野球界の中心人物になっておられます。その人脈は桁外れに凄いです。石井参議院議員(日本協会顧問)もその一人です。

 以上のような実績が評価され、1995年アマチュア野球からプロ野球界を経験しないで、読売ジャイアンツの編成本部長に就任されました。当時驚いたのは私だけではなかったように思われます。この人事には、長嶋監督の熱心な誘いがあったと聞いています。

 さて4人の野球談議、4人とも野球博士です。次から次へと当時の選手・コーチ・監督、出身高校・出身大学、そこでどの監督に指導されたか。ライバルはどこでそこからどのような影響を受けたか、話が尽きません。

 17時15分に駅中の喫茶室で野球談議が始まり、18時15分に一旦終了。場所を変えて、夕食会。そこでも食べるよりも野球談議、あの選手今どうしている、その友人は何をしている、誰と結婚した、子どもは野球選手かどうか、あの時代、監督候補はXだったけれど、結果はZさんになった。その理由は?野球界の世間話は終わりません。

 技術論になると、ジェスチャーが入ります。気合いも更に入ります。こんな話もありました。「60年前は直球とカーブだけで良かった。今は変化球が全盛。そういえば先生が20年ほど前に出した『変化球バイブル』の理論には当時驚かされましたね」と岩浪副会長。私に話を振ってくださいました。相変わらず気配り、心配りの天才です。私は「お陰様で、最近はダルビッシュさんが同様のタイトル本を野球界から出されたので、このムーブ(動く)するボール(変化球)の大切さが、多くの投手やコーチ・監督に理解されるようになりました」ねと。

 話はまだまだ続きます。石山顧問「岡田は外野手だったのをサードにコンバートして鍛えて、超一流選手になった。あの時代、レギュラー9人中7人をコンバートし、成功させた。岡田は、選手の見る目が抜群に素晴らしい。遊撃手だった中野を二塁手に、佐藤輝を外野から三塁手に、大山を4番に固定してその才能を伸ばしている。それぞれ皆成功させている。投手陣だってそうだ。村上、大竹らを復活させている。これらを見ても、とても賢い監督だと言えるのだ」と。21時、お店は閉店です。まだまだこの野球談議は終わりません。「再び喫茶店に行こう!」そうだその前に岩浪副会長のために特急券を買っておこう。21時46分の切符を買いました。ようやく野球談議の終わりが見えました。

 先程の喫茶店は閉店でした。所沢の夜は早いです。マックが開いていたので、コーヒー4個を注文。特急に乗り遅れにようにして話が続き、野球談議のクーリングダウンが始まりました。

 解散する直前に、今日の4人が集まった最大の目的、1と2の件での確認です。石山顧問は、これから全国の少年少女に対して野球指導に行かれます。石山顧問曰く、「先生!少し返事が遅れますが、宜しいですか」私は、「勿論OKです。宜しくお願い致します」。

所沢駅のホームで岩浪副会長をお送りして、私は帰途に着きました。石山顧問が西武のどなたに繋いで下さるか、返事が楽しみです。