11月24日 第100回目の早慶ラグビー、凄すぎ!1927年豪州遠征WTC木村興人氏、大西鉄之祐先生、日比野弘先生、恩人そして「侍」です。
昨日、国立競技場において、第100回目の「ラグビー早慶戦」が開催されました。観衆は2万7609人(新聞発表)。神戸と大阪で行われた阪神とオリックスの優勝パレードは100万人。100回目と100万人、圧倒される凄さがそこにはありました。
ラグビーの試合は、早稲田が慶應に43対19で勝利。前半を28-14で折り返し、後半早々1年生のWTC矢崎君がトライ。高校の先輩でもあるフッカーの佐藤君が約30メートル独走。それを矢口君はしっかり追いかけて、左サイドでパスを受け、そのまま左隅にトライ。ご存じのように、彼はU20日本代表。今後の更なる活躍が楽しみです。
早慶戦が開始されたのは1922年から。その5年後の1927年に早稲田大学ラグビー蹴球部はオーストラリアへ遠征。その2年前には、慶應義塾體育會蹴球部が上海へ遠征、そこで慶應に負けまいと早稲田はオーストラリアへ。遠征は7月23日から9月15日までの長期間。その遠征メンバーのWTCが木村興人氏でした。
木村興人氏と私の父は親友同士、京都の自宅も御所を基準に北の家が木村氏の家。西側が吉村の家でした。
木村興人氏は、早稲田大学京都校友会の会長を私の祖父の後、長年務められ、そこでの副会長が父でした。家同士のお付き合いでしたので、私が高校生の時、木村興人氏が「ボン、早稲田に行くのやで、勉強、頑張り!」と言って早稲田の小旗(W)をくださいました。今もってその小旗は、私の書斎に飾ってあります。今日の「理事長からのメッセージ」の下の写真がそれです。60年前に木村氏から頂戴したものです。
木村興人氏は、京都新聞の副社長や滋賀日日新聞の社長等を歴任されました。その木村氏が可愛がられていたのが、奈良県出身の元早稲田大学教授大西鉄之祐先生でした。大西先生は、早稲田大学ラグビー部の監督を3度、その後、私が学生の頃、即ち昭和41年から46年までは、日本代表チームの監督を務められました。
当時、北島先生が率いる明治大学ラグビー部が「前へ、前へ」、重量フォワードですからとにかく重くて強かったです。それに対して、軽量級の早稲田は大西先生が強調された「展開ラグビー」。ボールを回す、ノッコン(ノット・コントロール、ボールを落とさない)をしない、しっかりキャッチして、走ることでした。
私は大学時代、大西先生の「スポーツの社会学」という授業を履修しました。
大西先生は、関西出張の折、木村氏から私のことを聞かれたのでしょうか、ある日のこと、授業終了後に「吉村!おるか!」といって呼び出されて、「勉強をしているか」とお説教です。良い意味で可愛がって頂きました。
1975年に、私が早稲田大学体育局へ願書を出すようにご指導を頂いた先生の一人が大西先生。先生が退職されるまで、様々ご指導頂きました。それは、木村氏からの紹介だけでなく、私が中学、高校時代からラグビーの大ファンだったことを知っておられたからでした。私は、もともとラグビーは、早稲田ではなく同志社のファン。兄二人が同志社だったからです。兄と一緒に同志社を応援していました。先述の木村氏も、早稲田を卒業後、同志社大学にも在籍されたと聞いていました。
当時の同志社の監督岡先生が率いるチームは、1番フォワードの宮地選手、2番フッカー中え(漢字は江ではなく、得だったように思います)選手、8番石塚選手、11番坂田選手、14番橋本選手、昭和30年代後半の同志社は本当に強かったです。ウイングの坂田選手と橋本選手は俊足で抜群の切れ味でした。特に、坂田選手の動きには魅了されたものでした。
大西先生が退職される時に、「わがラグビー挑戦の半世紀」(1984年5月10日、第1版第1刷発行、ベースボール・マガジン社、発行者池田郁夫)、をプレゼントして頂きました。池田郁夫社長は、1993年の日本ティーボール協会発足時の副会長。この本が出版されたのは今から40年前のこと、私がハワイ大学客員教授に赴任するちょうど1年前でした。今日40年振りに、この本を開いてみると驚きました。大西先生からのサイン入りでした。
「謹呈 吉村正先生 感謝 鉄之祐」とあります。「感謝」するのは、私の方です。ありがたいサインです。私の宝物です。一か月ほど事務所に置いておきます。興味のある方は、事務所にお越しください。
その他、「闘争の倫理 スポーツの本源を問う」二玄社。スポーツ作戦講座3「ラグビー」不味堂、いずれも大西先生の著作です。この本も同時の事務所に展示します。早慶戦100回記念ですから。
大西先生の後任で、1981年に体育局に専任講師として来られたのが日比野弘先生。体育局では私の6年後輩になりますが、歳は11歳日比野先生が上。上記のようなラグビー繋がりでとても親しくお付き合いをさせて頂きました。大学だけでなく、「日本スポーツ方法学会、現在のコーチング学会」も一緒に常務理事を務めました。その折ラグビーで話題に上るのは、同志社の岡監督、日体大の綿井監督、それに慶應の上田監督等の指導法、方法論でした。当然のように各大学で戦術が異なるのです。これを聞かせて頂けるだけで、楽しいひと時を過ごせるのでした。
「スクールウォーズ」でも有名になった山口良治監督率いる伏見工業高校出身の平尾選手、大八木選手が同志社大学で大活躍。この山口先生が最も尊敬されていたのが、大西先生でした。本人の口から聞きました。山口先生とは、私がハワイの留学から帰国した1971年から、京都「紫クラブ」でソフトボールを一時一緒にプレー。ラグビーでは天才的なプレーで、且つキッカーとしても超一流、ソフトボールも上手でした。
このようなラグビーの話をすると止まりません。ここで言いたいのは、野球!大阪の阪神もオリックスもパレードで100万人も集めるなんて凄すぎ。しかし、早慶ラグビーもお忘れなく!100回目の対抗戦なんて、めちゃくちゃ凄いのです。木村氏、大西先生、日比野先生、次から次へと思い出が広がります。早慶ラグビー最高‼