12月25日 ノンフィクション作家織田淳太郎氏が事務所へ。「健康福祉の大会」にとても興味を持たれています。

 12月21日に織田淳太郎氏が、事務所にお越しになりました。今日はその時の楽しい話を紹介します。

 織田氏は、ノンフィクション作家。スポーツや精神医療分野のノンフィクションを多く執筆されてきました。しかし、最近では「孤独」、「深層心理」、「精神世界」等のテーマに目を向けられています。先日、彼から私に会いたいと事務所に電話を頂いたのです。それはティーボールの「健康福祉の大会」にとても興味を持ったからだというのです。

 事務所での話し合いは、約2時間。先ずは①大嶋匠選手の現在の活躍について、②いつでも、どこでも、誰でもできる日本式ティーボールについて、③福祉施設の管理・運営について、④障がい者スポーツ大会を開催するためにはどのような準備が必要か、等々で話し合いました。

 先ず①については、2012年8月3日発行の「夢の先にあった栄光と挫折」(宝島社発行)の中で、第1章のタイトルが「ついに叶ったソフト界重鎮の夢―プロ入りまでの師弟物語―大嶋匠(55ページ)」を書いたライターが織田氏です。そこで取材を受けてからのお付き合い。それは、今から11年前のことでした。

先ずは、その時を思い出して、その本文の小見出しのみ以下に紹介します。

 「全部員が固唾を呑んだドラフト会議」、「7位の選手に約70名の報道陣が」、「恩師はソフトボール界のパイオニア」、「がく然とした日本ソフトボール界の認知度」、「性格は典型的なマイペース」、「兄を追って野球部のない中学校へ」、「メジャー化のため目指したプロ選手の育成」、「アメリカで報じられた早大の絶対的な強さ」、「大嶋の才能を伸ばした開放的な練習環境」、「入学早々、U19全日本に選ばれる」、「大器を“その気”にさせるため大御所との接触」、「社会人宣言の弟子を温和な師が叱責」、「本人は高崎市役所への就職を考えていた」、「名選手も認めていた打撃選手」、「大嶋を育てられるのは日本ハムしかない」、「ボールをピンポン玉のように飛ばすパワー」、「ドラフト前に参加した入団テスト」、「契約金はゼロでもいいでしょう」、「ドラフト直前まで悩んだ日本ハムスカウト」、「“話題料”で契約金を上積み」、「コーチが頭を抱えたプロ初打席の本塁打」、「ソフトボーラー1000万人のために」。

 以上、さすがは有名なノンフィクション作家。事実を丁寧に書いてくださいました。この記事に興味ある方は、上記の書籍を手に取ってぜひご一読ください。

最初の織田氏の質問は、「現在、大嶋さんは何をされていますか?」です。私は、「現在彼は学生時代から希望していた地方公務員になり、日々活躍中です」と答えました。

 ②③④については、自分は障がいのある方へのスポーツ大会を視察して、今とてもその分野に興味を持っています。そこで自分が協力できることを様々考えてみたいとのこと。最近織田氏が、テーマを変えて執筆されているのを私は知っていました。またその席では、最近織田氏が執筆された「『孤独』という生き方」「ありのままに自分」でいることのできる、自分だけの居場所を求めて」(光文社新書)を贈呈くださいました。

そこで、私は、特別支援学校でのティーボール授業と課外活動でのティーボールの現状を説明。

「今から25年ほど前元読売巨人軍にいた松井秀喜選手が『正力賞』をとった時に東京周辺の全ての養護学校にティーボールセットを寄付されました。そこで養護学校ではティーボールのブームが巻き起こり、その時生徒だった方々が現在多くの大企業の特例子会社において活躍中です。その方々が今尚この日本式ティーボールを大切にしてくださっているのです」と。

この件で、今年の4月29日、大妻女子大学多摩キャンパスグラウンドで開催された「第8回多摩地域障害者雇用企業ティーボール大会2023」の立派なパンフレットを見せながら、丁寧にこの特例子会社の大会の魅力を説明しました。

私のゼミで、「この出発点は、早稲田大学人間健康科学科の私のゼミ(健康教育とレクリエーション教育)でした」。即ち、今から35年ほど前から私のゼミの中で、「障がいのある方の中には野球好きの方が大勢おられます。その方々を、当時の後楽園球場や西武球場に観客として招待する、これは素晴らしいことです。でも、私は、もう一歩進んで、彼らに長嶋選手、王選手になったつもりで野球をやってほしいのです。ボールをバットで思いっきり打ってほしいのです。その爽快感を味わってほしいのです。それは、日本式ティーボールでないとできないのです」と話していました。そこで実践し始めたのです、と。

 織田氏は、熱心にお聞きくださいました。ちょうどそれは、前出の大嶋匠選手の取材の時のように、逐一メモをお取りになって。説明する私も徐々に熱を帯びてきます。最後には、是非、次回の「早稲田大学所沢キャンパスで開催する『健康福祉の大会』と『多摩で開催する障害者雇用企業ティーボールの大会』にお越しください」とお願いしました。

 別れ際に尾崎さんとは連絡を取っておられますか、と質問されました。尾崎氏とは、映画プロデューサー。2012年頃、ソフトボールと日本式ティーボールを映画化したいということで、高田馬場駅横にあった協会事務所に数回お越しになり、「ソフトボーイ」というタイトルで文科省から予算をとり、映画化するという話がありました。結果は残念ながら落選。日の目を見ることは出来ませんでした。大阪の吉川理事初め、何人かの役員の方々に出演のお願いをしたのですが、幻となってしまいました。次回また、良い企画を提案してくださるでしょう。期待しましょう。

 織田氏が事務所にお越しになり、来年からの「健康福祉の大会」が、またまた明るくなりました。織田氏や尾崎氏らのご努力によって、これらの大会が活字や映像で紹介される日が近いと良いですね。楽しい話し合いでした。