12月19日「理事長からのメッセージ」
昨日12月18日の朝日新聞17面スポーツに「黒人リーグの選手大リーガーに」という見出しで、写真はあの伝説の大投手サチェル・ペイジではないか。ついにこのような時代が来たか。私は感無量です。記事によると、大リーグ機構は16日、1920年から48年のニグロリーグ(黒人リーグ)に所属した選手と成績を、大リーグの一部として認定すると発表した。七つのリーグでプレーした3400人ほどが「大リーガー」に昇格する。というもの。
私は、ジャッキー・ロビンソンが初の大リーガーとしてブルックリン・ドジャースと契約したがそれまでの大リーグを「白人リーグ」と勝手によんでいた。それは、私が、「ニグロリーグ」のレベルの高さを知っていたからです。
そして、昨晩は、この日本ティーボール協会の役員会(拡大理事会)がありました。19時の終了後、事務局から発信していた理事の吉永先生との会話でその話が出しました。そこで、私は、ニグロリーグはとてもレベルが高くてサチェル・ペイジだけでなくハンク・アーロンよりももちろんベーブ・ルースよりも多くのホームランを打ったジョシュ・ギブソンという偉大な選手もいるのですよ、と得意げに語り始めました。気持ちよくその話を聞いてくださる吉永先生。先生も高校は熊本の濟々黌高校、小学生の頃は野球少年で狭い場所で様々工夫して、野球、ソフトボールを楽しんだとのこと。話がはずみます。先生、「ネーションズ・リーグ」って知っていますか。我々日本人や白人以外の人種の人たちはこのリーグに参加していたのですよ。古くはジャパニーズ三神さんという方もそこでプレーされていましたよ。早稲田大学野球部のOBのはずです。その三神さんは、早稲田の硬式テニスコートを確か三神記念コートと呼ぶ時もあるようですが、それはお兄さんのこと。お二人は確か山梨県の出身だと記憶しています。
それに、私がアメリカでプレーしていた時は、「日系野球リーグ」、「プエルトリコ・リーグ」など出身国の人が集まって野球リーグを創設してリーグ戦を戦っていたのです。ハワイの日系野球リーグには、ウオーリー・与那嶺、エンディー・宮本、ビル・西田、カールトン・半田、その他、平山、柏枝、神谷、若林、書けばきりがないほど大勢の名選手が、このハワイの日系野球リーグから日本に来ています。与那嶺さんや若林さんは監督にもなりました。私は、ハワイでカールトン・半田さんと二遊間を組んだことがあります。いわゆる彼と私はキーストンコンビでした。彼が中日ドラゴンズズのヘッドコーチをお辞めになった後です。あの水原さんと江藤さんが不仲になった直後でした。懐かしいですねえ。このような古いことは、多くの人が知りません。だから書き残すのです。
20年ほど前かなあ。マーティー・キーナート(日本ティーボール協会顧問)さん、佐山和夫さんと品川駅近くで焼き肉を食べながら、時間を忘れてアメリカのベースボールについて話したのが今思い出されます。彼らは今元気ですかねえ。このコロナ禍、お元気で活躍されていることを祈ります。また、昔のアメリカのベースボールを野球の好きな日本人と語れる時が近々来ることを願って、今日はこれぐらいで、失礼します。