12月29日 昨日は、スコット先生と「お誕生日会」兼「忘年会」でした。スコット先生は日本ティーボール協会の大功労者。皆さん今年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。

 昨日はスコット先生(日本協会参与)と二人だけの「お誕生日会」でした。先生と私はお互い12月生まれだからです。これはもうかれこれ20年近く続いています。毎年12月15日前後に行うのですが、今年は20日にソフトボール部の納会を4年振りで開催したので、このように年末となりました。したがって「忘年会」でもありました。

 この1年を振り返って、スコット先生には、「NPO法人日本ティーボール協会」に対して、多大なる貢献を頂きました。

それは先ず3月18日の第30回記念日本ティーボールセミナー「奇跡を起こした日本ティーボール協会」(NPO法人日本ティーボール協会主催)から始まります。会場は、先生の実験室。先生は人間科学部情報科学科の教授、パソコンや情報機器の取り扱いは、正にプロです。こんな心強いことはありません。セミナーでは最初の挨拶は、「皆さんこんにちは、1年振りで私の実験室にようこそ」から始まりました。

二つ目は、11月11日の早稲田大学所沢キャンパスグラウンドで開催した「第25回健康福祉ティーボールオープン大会兼ミアヘルサ青木杯第12回健康福祉ふれあいティーボール大会」(NPO法人日本ティーボール協会主催)の大会会長をお引き受けくださいました。そして、開会式での最初の挨拶は、「障がいのある人もない人も、お年寄りや少年少女、更には多くの社会人の皆さん、ここ早稲田大学所沢キャンパスにようこそ」から始まりました。今まさに多様化が叫ばれている時代に、この健康福祉の大会に、アメリカ国籍のスコット先生が、このように発言してくださったのは、実に的を得た、見事なスピーチでした。

スコット先生と私の付き合いは、40年を超えます。先生がオレゴン大学からの交換留学生で早稲田大学に来られた時からでした。勉強の合間にアメリカでレクリエーションとして楽しんでいたソフトボールを行いたいというので、当時のソフトボール同好会(会長兼監督は私)に入るため、国際部の職員さんと共に記念会堂(現在は早稲田アリーナ)の横にあったグラウンドに来られました。先生がアメリカで専門的に行っておられたスポーツは、陸上競技、アメリカンフットボール、バスケットボール。日本でしっかり勉強するためには、ソフトボール同好会への入会が最善と判断してくれたのでした。

入会後、この同好会がスローピッチも日本への普及活動をしっかり行っているが、主はファーストピッチと知り、当初はそのスピードに戸惑いもあったようでしたが、そこは生粋のスポーツマン、徐々に慣れてきて、素晴らしい選手に成長されました。日本語も徐々に話されるようになり、チームにもとけ込んでこられました。静岡遠征や京都遠征にもチームのメンバーとして帯同され、外野手兼強打者として活躍されました。

そのようなこともあり、春の東京都の大学リーグ戦に出場してもらおうと当時の大学連盟理事長に対して、私は「留学生に門戸を開いてください」と直談判したのですが、残念ながら却下されました。そんな時代だったのです。先生はとても悔しい思いをされたことは言うまでもありません。当時はもう一人アメリカからの留学生マット・リフキン君もチームメートとして活躍していました。

それから10年後、1993年11月、私は他の大学の教員、友人たちと一緒になって、「日本ティーボール協会」を創設しました。そのときスコット先生も、国際委員として名を連ねてくれました。当時の所属は、ミシガン大学助教授。因みに、上記のマット・リフキン氏は評議員。当時の所属は、ゴールドマンサックス証券会社勤務(後にバイスプレジデントに昇格)でした。

1988年7月に、私は「スポーツプレーヤーのための一人でできる種目別テーピング」(日東書院発行)を出版しました。そこで野球・ソフトボールのテーピングとして、早稲田大学ソフトボール部のユニフォームを着て、実際に行ってくれたのが、スコット先生。因みにサッカーのテーピングは、1997年第4回日本ティーボールセミナーで基調講演「日本ティーボール協会の理念に感銘する」というタイトルで発表くださった加藤久先生。先生はサッカー「YOMIURI」のユニフォームを着て、モデルになってくれました。

2009年1月、頼住先生や吉永先生、久保寺先生や一之瀬先生らと「笑顔いっぱいティーボール」の冊子をこのNPO法人日本ティーボール協会から出版し、全国の22,476校全ての小学校に送りました。

その英語版の翻訳者がスコット先生でした。この英語版は2009年7月に発行。そして、英語で送り状を書き、そこにスコット先生と私がサインをして、同年11月に、世界野球連盟と世界ソフトボール協会、世界クリケット協会にそれぞれ会長宛てに、その書籍を100部ずつ送りました。

そのクリケットが、次のロスアンゼルス五輪で正式種目になるということは感無量です。これは、クリケットのスターターゲームがティーボールだと我々二人は古くから知っていたからでした。

2010年1月23日に、早稲田大学国際会議場において「アジアティーボール協会」を発足させました。その初代理事長がスコット先生。このアジア連盟の共通語は英語。規約は私が上手くない英語で書き、それをスコット先生がチェック(校閲)をしてくださったのでした。第2代理事長が丸山先生になってから、共通語は日本語に変更、現在は第3代目で陳先生が務めてくださっています。

以上のように、スコット先生の「NPO法人日本ティーボール協会」へのこの40年間のご貢献は、物凄いものがあります。今風に言うと、「密が濃い」です。感謝しかありません。

昨日は、このようなことを思い出しながら、午後4時半に事務所でお会いしてから2時間、食事に行ってまた2時間、計4時間を超える「お誕生日会」。また、「忘年会」でもありました。帰り際、お互い、Y先生もお声がけするべきだったね、でした。Y先生がお見えになると、ゆうにこの会は6時間を超えそうです。話題がいっぱいありますから。

皆さん、忘年会はもうお済ですか? 

それでは、皆さん!今年も様々ありがとうございました。良いお年をお迎えください!

【追伸】昨年12月29日2時15分、12月通算万歩計は、324,926歩(昨年の「理事長からのメッセージ」参考)。

今年の12月29日2時50分、12月通算万歩計は、341,646歩。

12月に限っては今年の勝ちー。