12月8日「理事長からのメッセージ」
今日は、12月8日です。皆さん何の日かわかりますか。私はホノルルビジネス大学生時代2年半(1969-1971年)、ハワイ大学客員教授(1985-1986年)として1年と少し、合計3年半ハワイにいた人間として誰よりも敏感になる日です。
そうです。1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾に奇襲攻撃した日です。今の日本人にとってはあまり思い出したくない出来事です。私がハワイに初めて行ったのが今から53年前1968年でした。大学4年生、京都明徳商業高校のソフトボール部のコーチとしていきました。当時は、「夢の国ハワイに行きましょう」とよく言われました。1ドルが360円、選手一人20ドルしか持参できず、コーチは100ドルまで。そのほとんどは現地の日系人の野球、ソフトボール連盟の方々のお世話、いわゆる全て奢っていただいたのでした。もちろんホテルには泊まれず全員ホームステイです。日本にはドルがなかった時代です。そこで先ず観光に行ったところが真珠湾。大変な衝撃を受けました。翌年の1969年から私は2年半留学、朝と昼はホノルルビジネス大学等で勉強、夕方は本願寺ミッション校で先生、夜と日曜日には野球とソフトボールの招待選手。350ゲームほどプレーしました。その間、日本からくるお客さんを案内するとなると、その行き先はワイキキ、パンチボール、ヌアヌパリそして真珠湾でした。多くの方が衝撃を受けられたのが言わずと知れた真珠湾見学です。
350試合を行った中で、パールハーバー(真珠湾)の基地で軍人とソフトボールの試合をした経験があります。当時は、ベトナム戦争の真っ最中、明日戦地に行くのであろう軍人との試合は、本当に命がけでした。これ以上書けません。思い出すのも辛くなります。話題を変えましょう。そうそう、私の2年半の留学中、ルームメートのケンが高校を卒業するや否や軍人となりました。私と出会ったときはベトナム帰りで、ハワイ大学の学生の時でした。国から多くの奨学金をもらい裕福な学生生活を謳歌していました。当然でしょう。17歳で戦地へいくのですよ。そのケンが夜になるとライフルや、拳銃を毎日のように磨いていたのをついこの間のように思い出されます。ベトナムにいたときはいつ死ぬか、いつ死ぬかを考える毎日だったようです。ベトナム戦争の悲惨さを彼から多くを学ばしてもらいました。平和は絶対に大事です。
今、我々が、ティーボールや野球・ソフトボールができるのは、この平和があるからです。国が、人が、心が豊かになったからです。戦後、多くの方々が、過去の戦争を猛省して、将来の希望、繁栄を夢見て死に物狂いで頑張った。そのお陰です。これを忘れてはなりません。
今日は、改めて言います。12月8日、我々はもっともっと平和について、戦争について語る日にしなければならないと思います。