2月24日「八村塁選手 またまた大活躍 記事が小さいです」

 NBAウィーザーに所属する八村塁選手がまたまた大活躍。22日(日本時間23日)前年優勝チームのレーカーズを相手に127対124で勝利、彼は15得点をあげ、チームに貢献しました。これで、彼は8試合連続2桁得点、今やチームの大黒柱です。野球でいえばイチロー選手に近づく活躍。テニスでいえば大坂なおみさんに負けない活躍と私は思います。素晴らしいです。もっともっと彼の活躍を知りたいです。

 私は学生時代、バスケットボールはあまり得意とは言えませんでした。バスケットボールの知識もあまりないです。野球とソフトボールばっかりしていたのであの大きなボールをコントロールするのは苦手でした。バスケットボールの本は岡三郎先生が翻訳したものを読んだぐらいです。私の学生時代のバスケットボールというと、同級生に横山君(卒業後住友金属)がいて、彼は和歌山桐蔭高校まで野球部の選手だった関係もあり、彼とは野球やバスケットボールの話をしました。また、当時バスケットボールが強かった京都の山城高校出身の名選手山本君からも学びました。それでも私は、バスケットボールは上手になれませんでした。その頃、他大学では明治大学に北原、同志社大学に沼田といった長身選手が活躍していていたのを記憶しています。私は明治の北原のプレーが好きでしたが、特別バスケットボールのフアンという訳ではありませんでした。

 私が、バスケットボールの大ファンになったのは、1985,1986年ハワイ大学の客員教授でハワイに戻った時「フリーマン」のプレーを見たからです。当時のハワイ大学のバスケットボール部はとても強くてレギュラーになるのも大変なとき、2メートル前後の選手の中、彼は確か6フィート(1m82cm)もなく、176センチぐらいだったと思います。ドリブルはうまいし、跳躍力は抜群、長身選手の間を次々に抜いていくのです。授業を終えた夕方、ハワイ大学のアソシエイト・アスレチック・ディレクターのマサジ・サイトウさんと一緒にゲームを観に行くのです。それは、楽しい日々でした。帰国して、もうあのようなプレーを日本では見られないだろうなと思っていたら、なんと彼は松下電器にスカウトされたのです。これは嬉しかったですね。彼のプレーが日本で見られるようになったのです。日本のバスケットボールもだんだん好きになってきました。

 最近は、田臥や富樫、河村選手らのプレーを見るたびに、あの「フリーマン」のプレーを思い出します。皆さんご存じのように日本のバスケットボール界のレジェンドともいえる田臥選手は、ハワイ大学のライバル校であったブリンガム・ヤング・ハワイ校に留学されました。それはひょっとしたら当時「フリーマン」の影響があったのかもしれませんね。その辺の詳しいことは知りません。どなたか詳しい人教えてください。

 私のバスケットボールの知識はこの程度です。もっともっと知りたいのですが、新聞がバスケットボールを大きく取り上げないです。記事が少ないです。今日もこの八村塁選手の素晴らしい活躍があったのに、日刊スポーツでは、7面の記事で、紙面の広さはカーリングの記事の半分です。これを見てBリーグが誕生する時の川渕三郎さんの挨拶を思い出しました。それは、「バスケットボールは、競技人口は男女とも非常に多いが、いつも競技人口の少ないカーリングよりも新聞の記事が小さい、これはどういうことかね、あなたたち観客動員に努めてください。もっともっと新聞に大きく取り上げてもらうように努力してください」といった内容だったと思います。今なお、変わりないですね。

 これがもしアメリカだったら間違いなく、この八村塁選手の大活躍は一面トップでしょう。皆さん、そう思いませんか。

 野球をしていると、記事が多いです。ソフトボールしていると記事はほとんどありません。皆、同じような努力をしているのに日本は不思議な国です。野球とソフトボールの両方プレーしてきた人間としては、この違いが誰よりも分かります。マスコミの皆さん、ぜひ、公平な報道をお願いいたします。ついでにティーボールの記事も書いてください。もしそれが面倒なら、我々が記事を書いて送ります。掲載してください。宜しくお願いいたします。