3月12日「東北の皆さん、あの羽生さんが言うように「頑張ってください」。我々はいつでも応援、協力します。」

 今、2011年の手帳を読み返しています。3月11日2時46分、「東北関東大震災」と記し、その後「東北関東」を赤字で消し「東日本大震災」と記しています。その時私は、早稲田大学所沢キャンパスの実験室にいました。とても大きな揺れを感じました。書籍をはじめ多くの飾り物が崩れ落ちたのを記憶しています。それから1ヵ月、東京でのほとんどの予定が「中止」と記されています。

 この年、日本ティーボール協会として最も全力投球したのは、岩手、宮城、福島等、東北の方々に何をするべきかということでした。結論付けたのは、「全国小学生ティーボール選手権大会」に多くの被災地の子ども達を招待しようということでした。

 そして、8月8日「第14回全国小学生(3、4年生)ティーボール選手権大会」並びに「東日本大震災復興支援ティーボール第1回交流大会」を西武ドームで開催したのです。「選手権大会」の部では、8チームが、「交流大会」の部では11チーム、計19チームが被災地から参加してくださいました。主催者側としては、とても感動し、嬉しかったのを記憶しています。

 大会の前日の夕方、私は被災地からのチームが宿泊する宿舎すべてに、「この度は、このような大変なときにこの交流大会にお越しくださりありがとうございます」とお礼に回りました。その時、次のような言葉を返すお母さんがおられたのです。「今年は子ども達になんの思い出も作らせてやれないのです。このような素晴らしい大会に参加する機会をおつくり下さりありがとうございます」って。私は「え!そんな!」大変な驚きでした。その瞬間、震災直後の次のことを思い出しました。それは、水がない、食料がない、それでもきちんと整列して一人一人が順序良くボランティアからそれらを受け取っていらっしゃる光景です(これは、海外でも大きく取り扱われました)。東北の方はなんと素晴らしいのだろう、と。同じ日本人としてとても誇りに思った瞬間でした。

 翌日の本大会は、会長の海部俊樹先生、この大会の名誉会長をお引き受けくださった王貞治氏、福島県野球界の英雄中畑清氏、プロ野球OBクラブ理事長森徹氏ら大勢の野球関係者の方が応援、そして協力しに西武ドームにお越しくださいました。その時の代表選手の年齢は、10歳から12歳、その子ども達は、今どうしているのだろうか。王さんや中畑さんや森さん荒川さんなどからゲットした激励のサインはどのような喜びを彼ら、彼女らに与えただろうか、19チームの選手だった皆さん、これからも福島、宮城、岩手、茨城、山形、東北、長野、千葉、東京、関東、日本、世界といろいろな地域で活躍してください。それを願っています。

 その年は、早稲田大学ソフトボールチーム(全員がティーボール中級指導者資格所得者)で、11月19日は福島市でソフトボール教室を行う。対象は、中学生と高校生。100人以上が笑顔で、元気にソフトボールとティーボールを楽しみました。その翌日は、宮城県山元町で、少年野球、ソフトボール、リトルリーグの子ども達を相手にティーボールしたりソフトボールしたりでした。笑顔で楽しんでくれました。でもこの時期は、ボール、バット、グラブを寄付することが主でした。野球・ソフトボール用具が全て津波で流されていたのでした。出発前東京で有志に片っ端から用具の寄付をお願いして、バスいっぱいに野球・ソフトボール・ティーボールの用具を積んでいったのを記憶しています。

 その後は、毎年その年に何ができるか、福島であれば亀岡偉民先生と相談して、この10年続けています。勿論これからも日本ティーボール協会並びに早稲田大学ソフトボール部は、続けていきます。

 今年の第75回全国レクリエーション大会2021は福島県開催です。ティーボールの大会は、福島市のあずま総合公園軟式野球場で開催します。これも福島県連盟の皆さんと一緒になって楽しい大会にしたいです。近隣のティーボール関係者の皆さんご協力の程よろしくお願いいたします。

 福島の皆さんといいスクラムを組んで楽しみましょう。

 福島、宮城、岩手、山形、秋田、青森東北の皆さん、これからも、あの羽生さんが言うように「頑張ってください」。ティーボール協会はいつでも応援します。協力します。