3月15日「陳兆麗先生の偉大なる功績。中国の全国大会は1週間かけての開催」
3月8日は、拡大理事会、いわゆる「日本ティーボール協会の役員会」をオンラインで開催しました。その会に理事の陳先生が当初出席とされていたのですが、会議の直前になって、欠席のメールが来ました。陳先生は、私が早稲田大学の教授時代、人間科学部総合研究所の研究員として、彼女は週1回私のゼミに参加するために名古屋から来てくれていたのです。真面目な研究員だったので私は昨日電話しました。「え!どうしたのですか」、呼び出し音が違うのです。国際電話です。 「今、どこですか、アメリカ、カナダ、中国、台湾」と私。彼女の活動範囲は世界あらゆるところです。「吉村先生!今、中国です」と陳先生のお答え。「今中国、なんで?」と私。「そうなんです。役員会の時は中国から参加しようと思っていたのですが、事情があってそれが無理となりました」ですって。オンライン会議は、世界のどこにいても出席できるのです。便利なものですね。
さてその陳先生、皆さんこの先生が如何に凄い方か、傑物かご存じですか。私が知りうる限り日本と中国で野球やソフトボールの架け橋となった方で誰がNO.1か。彼女でしょう。アマチュア野球界、大学、高校、社会人、そして軟式野球、準硬式野球、少年野球、リトルリーグ、まだまだあります。ソフトボールでは、ファーストピッチだけでなく、スローピッチそのほとんど日中の架け橋は、多くが陳先生です。それもほとんどがボランティアです。圧倒されます。
陳先生と私が最初に出合ったのは、2004年愛知県名古屋市でのこと。元協会理事の児玉さんの紹介でした。当時彼女は、愛知県周辺の3,4の大学で中国語の先生をされていました。日本語が堪能で、野球にことのほか興味を示される方でした。ティーボールの話をすると食らいつくように耳を傾けてこられました。この先生凄いな。中国は野球やソフトボールはあまり普及していないのに。これが私の彼女に対する第一印象でした。(その4年後が確か北京オリンピック)
陳先生が動かれると普及はめちゃくちゃ早いです。それは信じられないほどです。私と会った後、先生はすぐに中国北京と山東省と重慶ティーボール用具を寄付。そして北京は17ヶ所の小学校と中学校の先生を集めて講習会、重慶では小学校6校、中学校3校で採用。翌年2005年はあの北京大学付属小学校(日本でいえば、東京大学付属小学校のようなイメージ)の8クラスでエキジビションの教室、授業を行う翌年2006年は、全国の体育の先生170人を一堂に集め講習会。一気に普及させていったのです。
陳先生は、北京オリンピックの前年の2007年「第14回日本ティーボールセミナー」で上記ことを丁寧に発表してくださっています。それから17年たった昨年は「第27回ティーボールセミナー」の基調講演「中国での爆発的な広がり」というタイトルでその間の歴史についてお話しいただきました。
そこでは、2009年からこのティーボールを普及させることが国家プロジェクトの1つとなってからは、その普及の度合いは爆発的なものでした。と語っておられます。私もその国家プロジェクトの外国人委員(一人だけです)として2009年から8年間2017年までの間協力させていただきました。この光栄となる委員を拝命したのは、1にも、2にも陳先生のお陰です。この間、陳先生は、我々が作成した小学生用「笑顔いっぱいティーボール」の中国語の翻訳、それをウン千冊中国政府直轄の棒塁球協会に寄付、全国に配布。講習会の開催、アジア連盟への参加。この紙面では到底書ききれないほどの野球界へのソフトボール界への貢献、そんな流れもあって、中国のソフトボール人口の急増。それよりもティーボール人口の飛躍的な成長。中国の全国ティーボール選手権大会は1週間をかけて行われるほどにまで、国家的イベントとなったのです。その仕掛けには皆さんもうお分かりでしょうこの陳先生です。
陳先生、ふるさと北京でゆっくり家族で楽しい日々をお送りください。電話の内容によると6月ごろ日本に戻られるとのこと、また、中国の楽しい話をお聞かせください。楽しみにしています。
陳先生とのエピソードは、まだまだあります。今日は先ずはその第1報です。