4月5日 大谷選手移籍後初ホームラン! 私も元気になり、「理事長からのメッセージ」を再開しました。また、宜しくお願致します!
4月3日(アメリカ時間)大谷選手がドジャース移籍後、待ちに待ったホームランを打ちました。記念すべき移籍第1号です。このホームランで私も何だかやる気が湧いてきました。大谷さん!ありがとう‼
実は私、2月23日から3月9日までと3月17日から26日まで某総合病院に入院をしていました。病名は「脳梗塞」。幸い早期発見で大事に至らず、このように「理事長からのメッセージ」を再開できる運びとなりました。
2月20日「佐々木鱗太郎選手もスタンフォード大学構内でお花を買いませんか」のタイトルで、1985年の思いで話を書いて以来、ここでの執筆は約1か月半ぶりです。
今日からは「理事長からのショートメッセージ」とし、今までより文章を短くし、皆さん方に「理事長・ナウ、ティーボール・ナウ」をお伝えできればと思っています。
自覚症状としては、この2月初めに①右腕の小指と薬指に突然力が抜けたようになりました。尺側筋が使えないのです。「ヤバイ!これは腱鞘炎か?」。②自動車の運転中に、5分間ほど片目が見えづらくなり、近くのコンビニで休憩。③10か月ほど前から「理事長からのメッセージ」の書きすぎ?だったのか、両眼がかすむようなことがありました。
私は、近々、整形外科か脳神経外科に見てもらう必要アリと考えていたのです。
2月13日は、大学教授時代から約40年間、年に1度健康診断をしていたクリニックの予約日でした。そこで医師の先生に相談すると、「1度脳のMRIを撮ってみましょう」ということに。早速、新宿にあるメディカルセンターで10日後の23日(天皇誕生日)に撮影をして頂くことになったのでした。
2月23日の前日は11,542歩、21日は10,901歩、20日は10,747歩、19日は10,204歩、18日は10,035歩、17日は10,624歩、毎日コンスタントに1日1万歩を歩いていましたので、自分の健康を確信していました。
23日MRIの撮影が終わると診察室に呼ばれ、医師の先生から「どこか総合病院を知っていますか」です。「私はヤバ!」と直観。「はい、近くのT大学病院を知っています」と。しかし、そこはベッドが満床との返事。他には?「はい、K大学病院は?」と私が言うと、先生は、「今、そこに行くタクシー代をもっていますか」だって。私は再び、「ヤバ!そんなに悪いのか…?」。しかし、K大学病院も満床との回答でした。
もう私は「隣の県でもいいですか」と先生に聞くと、「はい」との返事。その総合病院にはベッドに空きがあり、すぐにその病院へ行くことになりました。勿論タクシーではなく、駅まで歩いて、その後は電車に乗って。歩くのは健康に一番良いと思っているものですから。
総合病院の最寄りの駅に着いた時、「即入院かもしれない」と考え、駅前の寿司屋で腹いっぱい食べて、総合病院の緊急外来に行きました。受付を終え、診察室に呼ばれ、MRIの画像を見た医師の先生から「即入院です!」と。
私はそんなこと言われても、着替えはないし、お金も今は持ってないし、今後の予定もたくさん入っているので・・・」と。「いったん自宅に帰りたい」と主張したのですが、その先生曰く、「1、2週間入院が必要です」と。
そんなこんなでその場で診察されてから私が入る病室までの間、車いすでの移動でした。前日まで毎日1万歩歩いていた私がですよ。
診察室から歩いて5、6歩で行けるトイレも車いす使用でした。
次回へ続く。