5月22日「探偵ナイトスクープ」最高顧問のキダ・タロー氏は天国へ。寂しいです。

 「探偵ナイトスクープ」の最高顧問のキダ・タロー氏が、5月14日、大阪のご自宅でお亡くなりになりました。キダ氏は、別名「浪花のモーツァルト」と呼ばれ、作曲家でもあり、タレントでもありました。関東ではキダ氏が最高顧問を務めた「探偵ナイトスクープ」はあまり知られた番組ではありませんが、関西では絶大なる人気番組でした。

私もこの番組に出演したことがあります。これを書くのは確か二度目ですかね。

 出演させていただいたのは、今からかれこれ20年程前になりますが、「探偵ナイトスクープ」の第2代局長が西田敏行氏、司会は吉本興業所属の石田氏の頃でした。キダ氏は、その頃から音楽を担当されていたと思います。

 私の人間科学部の研究室に突然大阪ABC放送の担当者から電話があり、この番組に出てくれないかというもの。話を聞いていると、大阪では大変な人気番組で、確か毎週金曜日のゴールデンタイムに放映され、その視聴率は20パーセントを超えるという。私はとっくに関東人となっていたので、この番組の存在は全く知りませんでした。

 担当者から話を伺うと、依頼者は63歳のソフトボール選手。彼からのお願いは、「早稲田大学の吉村正先生に、ピッチングの指導をお願いしたい。自分はシニアのソフトボールリーグに所属するチームでエースを目指している。定年退職後、60歳からピッチングを始めたのだが、68歳のエースがいてその先輩になかなか追いつけない。どうしたら彼を追い越しエースの座を射止められるか。そこで様々考え駅の近くの本屋さんに行くと、吉村先生のソフトボールの本が数冊あった。値段の一番安い2002年版の『図解コーチ・ソフトボール』(成美堂出版)を買ったが、今一うまくなれない、吉村先生に直接指導してもらえないか」というものでした。

 私は当時、人間科学部の管理職等で結構忙しかったので、どうしたものかと随分思案しましたが、大阪での指導の帰りに、京都の実家に立ち寄るというのも良いかなと思い「OK」の返事をしました。

 出張は1泊2日、指導当日、大阪には昼過ぎに到着。そこからABC放送近くのソフトボールグラウンドに直行。その球場に看板が出ていました。その球場名は、何と「シニヤソフトボール球場」。さすが大阪、「シニア」でなく「シニヤ」です。「お年寄りのソフトボール球場」という名前にはちょっとショックを受けましたが、それでもさすがは大阪!花月や松竹新喜劇の町といった感じでした。

 2時間ピッチングを指導をして、夕食はABC放送の近くの天ぷら屋さん。そして、翌日朝10時から12時迄、じっくり指導させていただきました。63歳の投手はとても上手になられました。私も投手指導、技術指導では少しばかりプライドを持っていたものですから、63歳の年齢に合わせながら、無理のないように、効率よく指導させていただきました。

 収録の当日は、司会者が吉本所属の石田さん、質問もトークも上手いし、背も高く、いい男です。私は早速、「石田さん!背が高くて男前やな」というと「先生!上手いこと言いますな」だって。この番組に出演した直後、同志社大学OBのディレクターさんから、「先生!話が上手いですね!またお願いします」だって。ABC放送からスカウトを受けました。最高の思い出です。あの吉本からもスカウトを受けたら・・・、本当か・・・。

勿論、やんわりお断り。それは、大学の業務がとっても忙しかったから?いいえ、大学は副業禁止だからでした。

東京に戻って、後日この時の番組を見ました。局長さんが西田敏行氏。番組は上手に編集されています。私が一番気になったことは、この63歳の初心者投手が、68歳のベテラン投手を超えてエースの座に就くか、それとも今まで通りベンチウオーマーかでした。総合司会者から説明がありました。「吉村先生の指導を受けた2週間後のリーグ戦では、投球する機会があり、68歳の投手の後を受け、見事に好投した」とのことでした。

良かった!責任を果たせた。

「探偵ナイトスクープ」には、こんな思い出がありました。この放送は、関東では確か午前0時ごろからの放映だったように記憶しています。私がこの番組でユニフォームを着てソフトボール指導をしたものだから、大阪のみならず、近畿、中国、四国、九州の友人から「観たぞ」という電話を頂きました。その中に、日本協会初代専務理事の末次義久氏からの電話もありました。嬉しかったです。

非日常的な活動は、気分転換になって楽しいなと思わせてくれるテレビ出演でした。

その番組の最高責任者キダ・タロー氏。天国への片道切符のテーマ曲は、「かに道楽」のCMソングなのでしょうか?大阪には楽しい方々が本当に沢山いらっしゃいます。