6月20日 私がハワイで野球をしていた時の名前は「ウィリー」。昨日天国に行かれたウィリーメイズ氏からいただきました。名付け親は、ハワイ朝日軍の名投手スス岡村です

 メジャーリーグ史上最高のユーティリティープレーヤー(万能選手)と言われたニューヨーク・ジャイアンツのウィリーメイズ氏が昨日心不全のため天国に行かれました。93歳でした。

 ウィリーメイズ氏は、1951年、ニグロ(黒人という意味)リーグからニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)に移籍、同年に新人王、1954年には打率3割4分5厘、41本塁打、110打点、でリーグ最優秀選手(MVP)に輝いた名選手。黒人としては、ハンクアーロン選手(通算本塁打数755本)が出現し、活躍するまでは、最大のスター選手でした。

 メイズ氏はメジャーで唯一「3000安打、300本塁打、3割、300盗塁」を達成した万能選手。更に言うと、通算3293安打、660本塁打、1909打点、339盗塁でした。メイズ氏を日米でさらに有名にしたプレーは、あの「ザ・キャッチ」。これは、ワールドシリーズの第2戦、彼がセンターを守っているときにその後方へ大飛球が打たれ、彼は背中を捕手方向に向けたまま(後ろ向きで)、捕球したプレーのことを言います。私は中学時代、このプレーをどれほど憧れて練習したかわかりません。キャッチボールの相手に自分の後方に山なりボールを投げてもらい、それを背走して捕るというプレー、難しくもあり、楽しい練習でもありました。捕球できた時の満足感は特別でした。なぜかあのウィリーメイズ選手になった気分でした。

 私が1969年春から1971年夏まで、ハワイの日系(A・J・A)野球リーグでプレーをしていた時、スス岡村監督(ヘッドコーチ)が、ユー(あなた)をYOSHIMURAにしろ、TODASHIにしろ、呼びにくい。ユーは、投手も内野手も外野手もプレーできる、打者としてもグッド(万能選手)だから、ウィリーメイズ選手の名前をもらって「ウィリー」と呼ぶぞだって。こちらにとっては、荷が重すぎますよ・・・。

監督スス岡村は、A・J・A野球リーグ「朝日軍」の往年の名投手、当時ワイキキに日本食のお店を出されていて、私もそこで皿洗いのバイトを少しさせていただいたので断るわけにはいきません。しかし、今では「超ありがたい名前」を頂いたと思っています。

そのような訳で、私がハワイをはじめアメリカで野球をしていた時は常に「ウィリー」と呼ばれるようになりました。「ウィリー・タダシ・吉村」です。新聞で紹介される場合でも、ミドルネームの「タダシ」ではなくファーストネームの「ウィリー」。しかし、ソフトボールをプレーする場合は、なぜか「タダシ」でした。  

その後、サンフランシスコ・ジャイアンツでは、ウィリーマッコビー選手が出てきたので、君の名前はあのマッコビー選手からもらったのかとよく聞かれましたが、そうではなく、このメイズ氏からもらったと繰り返し説明していた頃のことを懐かしく思い出しました。

私のイングリッシュネーム=ファーストネームを下さったウィリーメイズ氏、そういう事ですから、私は勿論、ウィリーメイズ選手の超がつくほどの大ファンでした。

本日20日、新聞報道によると、ニグロリーグの本拠地だったアラバマ州の「リックウッドフィールド」で開催されるジャイアンツ対カージナルス戦で、ウィリーメイズ氏をたたえるセレモニーが予定されているとか。今晩私はアメリカアラバマ州の方向を向いて、ウィリーメイズ氏が天国に旅立たれるのを見届けようと思っています。

ウィリーメイズ氏!私に素晴らしいイングリッシュネーム=ファーストネームを下さり、本当にありがとうございました。