8月19日 ハワイのコイケ先生、長船さん、一大ベストセラー「写真で見るソフトボール」(1976年)、頼住先生、丸山先生、繋がります。感謝です
今日は、第105回全国高校野球選手権大会の準々決勝の日。以前から甲子園では、準々決勝が一番見ごたえがあると言われています。関東では慶応高校と土浦日大が頑張っています。東北では仙台育英と花巻東の両校が勝ち残り、今夕対決します。全ての試合が好取組、テレビを観るのが楽しみです。京都の実家にいれば、甲子園に直接応援に行ったことでしょうね。
さて、この大会が戦後、日本高校選抜チームを結成して、ハワイ高校代表と毎年交流試合を行っていたのを記憶されている方は、今どれ程いらっしゃるでしょうか?私の平安高校の3年先輩のバッテリーは、当時日本高校選抜代表チームの一員としてハワイに行きました。藤野投手(元東映フライヤーズ)と野口捕手(元読売ジャイアンツ)です。藤野投手がハワイでフラダンスを踊っていたのを、当時中学生だった私はどれほど憧れたことでしょうか。今でもその光景は脳裏に焼き付いています。当時は、テレビで、「さあ!クイズで優勝して、夢のハワイへ行きましょう」という時代でしたから。
日本高校選抜とハワイ高校選抜は、1年おきに交流していたのです。日本の主催代表は朝日新聞社。このハワイ高校生選抜チームの団長は、前回ご紹介したマサオ・コイケ先生でした。なぜなら、コイケ先生は日系米人野球リーグの会長だったからです。加えて、大変な教育者だったからでもあります。その関係で、コイケ先生は、日本の朝日新聞関係の重役さんや高校の監督さんと長年交流を持たれていました。
一方、東京六大学、東都6大学の野球チームが、ハワイ大学と試合する、地域のA.J.Aのチームあるいはハワイ朝日軍と試合する時も、その全てのお世話をされていたのがコイケ先生でした。それは半端なく凄かったです。大学関係だけでいうと、マサオ・コイケ先生と長船騏郎さん(東京六大学野球連盟事務局長・学生野球協会常務理事)は、「長船さん、マサ」と呼び合う仲でした。
そのお二人の関係で、この日本ティーボール協会をスタートさせた時、長船さんには、私から「日本ティーボール協会顧問」の就任をお願いしました。快く了解してくださったのはいうまでもありません。日本ティーボール協会は、今日も大学野球関係者と良好な関係を築き上げています。
さて、話は戻ります。昨日の「理事長からのメッセージ」の続きです。
私の人生の大恩人マサオ・コイケ先生に対して、1976年5月に結果的には一大ベストセラー、且つ20数年間ロングセラーとなった「写真で見るソフトボール」の推薦文の執筆を依頼いしました。先生は快く引き受けて下さり、以下の推薦の言葉を、英語で送っていただきました。翻訳したものを、ここに紹介します。
推薦の言葉
この度、私が尊敬する吉村正君がソフトボールの指導書を出されるにあたり、同君の永年に渡る努力が実ったことを喜ぶとともに、広くソフトボールの興味のある方がたに本書を読んでいただくべく推薦のことばを申し述べます。
吉村正君は1969年5月から1971年8月までハワイに滞在し、体育・レクリエーション・英語等の勉強をされました。その間、私は彼の後見人を務めました。彼は、私にとって自分の子供ほどの年齢差がありましたが、その誠実で礼儀正しい振る舞いに特に感銘を覚えました。また彼の、積極的に地域社会へとけ込もうとする姿勢に、あふれる責任感と向学心を感得させられました。
彼はハワイ滞在中、ハワイで最高レベルにあるA.J.A.ソフトボールのリーグの一員として目覚ましい活躍を示しました。最初のシーズン(1969年度)は、シーズン途中からの参加のため打数不足で首位打者を逸しましたが、打率5割という驚異的なアベレージを残しました。翌1970年度リーグでは、リーグタイ記録のホームラン数を含む3割7分9厘、それに打点王として堂々オールスターに選ばれ、その活躍に対して、現州知事(当時副知事)ジョージ・アリヨシ杯が授けられました。さらに、1971年度には、リーグ史上第5番目にあたる4割2分9厘の高打率で最優秀選手に選ばれる栄誉に浴しました。
このようにソフトボールの神髄を体得されている吉村正君の執筆された本書は、技術面のみならずアメリカや日本のソフトボールの本質に至るまでが書き記されているため、絶好のソフトボール指導書となることでしょう。
1976年5月 MASAO KOIKE(直筆のサイン)
ハワイ日系米人ソフトボール協会会長 マサオ・コイケ
以上の推薦文を頂戴しました。身に余る光栄でした。更に、その本の23ページには、広島球場で日米ソフトボール試合の開会式で団長として挨拶されるマサオ・コイケ先生とその横で通訳する私の写真が掲載されています。その前には、テレビ関係者の写真班が二組写っています。
次に紹介したいのは、この本の5ページ「はじめに」です。その最後の感謝の言葉を紹介します。
「・・・・・・・・。最後になりましたが、本書の写真の撮影は早稲田大学ソフトボール・クラブOBの頼住道夫氏(厚木市立荻野中学校教諭)に多大なる協力を仰ぎました。ここに感謝とお礼を申し上げます。 吉村 正
です。更にその下には、≪他の協力者と協力団体≫ ◎校正 丸山克俊(東京理科大学工学部助手)とあります。このお二人には、この時からの長い、深いお付き合いです。以上が、今から47年前の出版物から見える「現在の日本ティーボール協会」の一端でした。
マサオ・コイケ先生、頼住道夫先生、丸山克俊先生、素晴らしい先生方との出会いにより、またご指導、ご協力により、私もこの日本ティーボール協会も存在するのです。改めて上記に紹介した先生方に感謝して本日の「理事長からのメッセージ」とします。