第25回記念日本ティーボールセミナー

2018年1月6日(土)開催
協会創設25年、幼児、小学1・2年生のためのティーボール教本完成

◆ 幼児と小学1・2年生への更なる普及に向けて
◆ フリーディスカッションⅡ: 日本協会創設25年、今後どう歩むか


開催要項

➡ 第25回日本ティーボールセミナー実施要項(PDF)

副会長挨拶 池田 哲雄氏
(株式会社ベースボール・マガジン社社長)

 皆さんこんにちは。ご紹介に預かりました池田と申します。ティーボール協会さん成立25年、本当におめでとうございます。私副会長を務めておりますが、本当にこういった野球型ボールゲームの普及を長年にわたって努力してこられたわけです。本当にこれは価値あることだと思います。理事長を務められている吉村先生とは弊社ベースボールマガジン社の「ソフトボールマガジン」という雑誌で、まあ雑誌だけではないのですけれども、教本だとかあるいは様々な技術書を出させて頂いているのですが、ソフトボールの中の付き合いでも40年以上、競技者の皆さんのために少しでも役立とうと努力してまいりました。そして今日ティーボール協会25年のこの行事を迎えて、私嬉しく思っております。ありがとうございます。ティーボールというのは、お年寄りから子どもさんまで、本当に隔たりなく楽しむことができる社会教育であり、学校教育であり、レクリエーションであること は間違いないのですけれども、本当に幼稚園でもプロ野球の例えばジャイアンツアカデミーの方が来られて、東京都の幼稚園で、ティーボールで競技を楽しんで、競技の普及活動をやっているわけです。プロ、アマ問わず垣根を隔てることなくこの競技を盛り立てようという本当に努力の賜物だと思います。吉村先生これまで本当に長年にわたって努力してきたのですけれども、ようやく形になって講習会のために本当に大躍進して大きく花開くということになったわけなのです。これから2年後の2020年に東京五輪で野球が復活しますけれども、こういった、このボールゲームが世界各国まだまだ普及されてない地域もありますので、この方々にとって役立つように私共ティーボール協会一丸となって努力していきますので、本当に今日は講師の皆さん、研究者の皆さん、ありがとうございました。


理事長講演 吉村 正氏
(中国煙台大学客員教授・元早稲田大学教授)
「協会創設25年、研究と実践43年、次はSGマーク・幼児への普及」

 皆さん、こんにちは。事務長報告も副会長挨拶もだいたい2分ぐらい早く終わったのですよ。今年は、私は、自宅からこの様な物(時計)を持ってきました。時間を守るように。私は少し長めに話しますので、次の吉永先生が13時45分からでありますので、13時43分ぐらいには終わって、吉永先生にバトンタッチをしようかという風に思っております。本日は、松の内にもかかわらず、北は、今年は山形の山川さんが一番遠くからで、南は、沖縄で仲里さんですかね。200名弱の方々がお越し頂きまして、大変ありがとうございました。本来ならば、第二週、第三週にこのセミナーをやらなければならないのでありますけれども、ちよっと事務局の方、大学との連絡等がありまして、大学でどうしても使わなきゃならない大事な行事があるので、この来週にしてくれないかということになりましたものですから、今日になりました。まずは、この早稲田大学国際会議場にお越しいただいて大変ありがとうございました。
 今年は2018年。この協会を立ち上げたのが、1993年11月22日。この一階下の第一会議室に、さきほどの写真の海部先生を真ん中に、私は筆頭副会長で隣に、本来、今日、谷沢さんが副会長で挨拶するのですが、ここに来ていないですけれども、常務理事で、ちょうど池田副会長ですね。当時まだ30歳ぐらいでいらっしゃって、ベースボールマガジン社の週刊ベースボールの編集長ぐらいで、バリバリでちょうどその辺(会場客席中央)で記事をお書きになっていたのを記憶しております。池田哲雄先生の父上の恒雄先生には大変お世話になりましたし、また、兄である郁雄さんにも大変お世話になりました。この25年間、ベースボールマガジン社の力なくして、この協会の発展はなかったなと思っております。今後ともまた、ベースボールマガジン社に引き続きよろしくお願いしたいと思います。
 その25年を振り返って、何が一番大きな事をしたのかと考えますと、私はこの日本式ティーボールを学校教育に皆様方のお力を頂いて、入り得た事であると思います。皆さん、振り返ってください。日本式ティーボール、お分かりですよね。昨年一年間、日本式ティーボールを全国で徹底的に語ってきました。というのは、アメリカ式ティーボールと日本式 ティーボールをまだコンフユーズ、ミックスアップしている人がいる。アメリカ式ティーボールは、バットがアルミなのです。アメリカ式ティーボールは硬式のボールに近いのです。ですから、4〜8歳の子はヘルメットを被らなくてはならない。これでは、学校教育に入れられるようなティーボールではないのです。そのティーボールとこの日本式ティーボールは完璧に違うということを今日、改めて再確認しておいて頂きたいと思っておりま す。それはボールがやわらかく、バットもやわらかく、したがいまして、塁間が狭くてよいわけですね。安全に、楽しく、大勢の人たちができるというカテゴリーで、ずっと普及させて頂きました。先程言いましたように、1993年11月22日に、ここ早稲田大学国際会議場でスタートしたのですけれども、実はその5年後、1998年、小学校学習指導要領改定によって、なんとこの日本式ティーボールが小学校の3、4年生で採用されることになったのです。これは奇跡なのです。どういうようなものであったのかといいますと、小学校3年生に対して、「ゲームの例:手やラケット、バットなどで打ったり、止まっているボールを打ったりするゲーム」と明記されました。この協会を作って5年目にもう小学校の教科書に入りました。これはなぜかというと、この協会をスタートする前に、もうすでに14年間の研究と実践があったのです。この20年の努力を当時の文部省やその関係者にご理解頂いたということであります。その10年後の2008年、小学校3、4年生のティーボールに加えて、5、6年生においても、ベースボール型の中で「 例示:ティーボール」というのが明記されました。そして、昨年2017年、3月、この辺は後で吉永先生から詳しく話があるかもしれませんけれども、お手元の資料をご覧ください。「ティーボールが小学校の必修授業に再び採用。」というように、3、4年生では「例示:手や用具などを使って打ったり、静止したボールを打ったりして行うやさしいゲーム」となりました。これは、移行期間が2年、その後10年間ですので、12年間続きます。そして、5・6年生はベースボール型で、「 例示:ティーボールを基にした簡易化されたゲーム」という風になりました。 これは、我々にとって大変な追い風になるということ、我々が皆さんと一生懸命やらせて頂いたことがこういう成果をあらわしてきているということを改めて皆さんの前でご報告申し上げたいと思っています。
 2つ目の成果は何でしょうとなると、先ほど事務局長のほうから話がありましたですけれども、私はもう一気にこれかなと思っています。皆さん方のお手元に配布致しました。『幼児&小学1・2年生のためのティーボール指導教本I』。上に川崎のぼる先生が描かれた子どもがティーボールをしている絵があります。真ん中に幼稚園児や先生方が共同で描いた絵が描かれていまして、なんとその下ですね編著、公益財団法人日本野球連盟、今日佐藤さんもお見えですけれども、加えて公益財団法人日本高等学校野球連盟、今日朝日新聞山本さんお見えですけども、その偉大な二つの団体と我々NPO法人日本ティーボール協会の3団体ですね。このようなものを作り上げることができました。では、これはどのような経過でこれができたのかということを簡単に説明したいと思います。1993年日本ティーボール協会を創設した時から我々は国民皆ベースボール、国民のすべてに野球を やってもらおうというのが研究と実践のテーマでありました。ですから、幼児には何とし てでもティーボールを普及させたいと考えていました。後のフリーディスカツションIで京都の広野幼稚園の例を挙げられると思いますけれども、やはり25年前から幼児への普及 はスタートさせて頂いておりました。そして2001年『ティーボールのすすめ』に、ベース ボールマガジン社の池田社長いらっしゃいますけれども、そこで『ティーボールのすすめ』というものを刊行して頂いて、その第一節にですね、実践幼児のティーボール状況に応じたルールの変化ということで、京都の広野幼稚園の吉村裕園長が書いてくれました。しかしながら、こんなにやっても全国には普及するには至りませんでした。その6年後、2007年『幼児のためのティーボール遊び』というものを早稲田大学教授の前橋先生にお書き頂いたのですけれども、これも全国に普及するという迫力はありませんでした。このセミナーではいつ頃から真剣にこの幼児と小学校1・2年への普及を考えてきたかということを申し上げます。それは第11回、今から15年前です。日本ティーボールセミナーからです。フリーディスカッションで幼稚園と小学校1・2年生に対する普及と題して、この年齢層にも徹底的に普及させようという動きをやりました。ジャクパの高嶋先生、そして今日は黒羽先生がお見えですけども、そのグループとですね、手を組んで普及に努めてきた訳であります。そのような、動きをですね、日本野球連盟の野端専務理事が高く評価して下さって、2015年7月23日木曜日、第86回都市対抗野球の決勝戦の午前中にですね、第2回のティーボール教室IN東京ドーム、皆さん方の資料の中入っていると思いますけれども、これをスタートさせて頂きました。そのような流れでこのティーボール教本が出来上がったという風に思われます。これを語ると大変長くなるものですから、これを利用してですね高校野球の選手の人たちが甲子園が終わった後に、3年生が母校の小学校や幼稚園に普及に行って頂くということになれば、非常に野球の世界も変わってくるのかなという風に思ったりしております。そのような夢が広がる教本が出来上がったということであります。
 3つ目からは地域への普及、皆さん方と一緒にやらせて頂いた件です。当初2・3年、4・5年はですね全国大会と銘を打たなくて西武球場で関東の小学生のティーボール大会という風にして、開催をしていたんですけれども、今から21年前ですか、全国大会と銘を打って、昨年は20回の記念大会をやらせて頂きました。この全国大会をやらせて頂いているおかげで、47都道府県の連盟の皆さん方がですね、心を込めてその地区でのティーボール普及に全力投球されているということに、なっているかなという風に思っています。これは 皆さん方と一緒に充実した大会をあちこちで、やり続けなければならないという風に思っております。
 4番目は健康福祉ティーボールオープン大会の迫力かなと思っております。昨年は19回でしたので今年は第20回という記念大会をやります。初めは車いすの大会だとか、知的障害者の人たちの大会とか、特別支援学校での大会という風にしていたんですけども、最近ではですね、それぞれが独立した大会をやって下さることになりました。年末は特例子会社の事務局長をやられている阿部さんの方から電話がありまして、今まで日本協会の審判部の方々に大変世話になっていると。これからは我々大企業といいますか、特例子会社の方で審判を養成して、より立派な大会をやり続けていきたいということと、また講習会よ ろしくお願いしますというような内容でありました。また高齢者に関する大会に関しましては、青木顧問であるとか文恵先生のお力を借りてですね、大きな大会が、先ほど事務長が報告してましたように、早稲田の野球場のほうでやらさせて頂いております。またこう いうようなのもより優れた、立派な球場でやれるようになるとすごいかなという風に思ったりしてます。
 そして、もう一つ今年か来年くらいに車いす利用者の大きな大会をスタートさせたいな。 日本アビリティーズ社の社長の伊東弘泰先生、早稲田の客員教授をやって下さった方なんですけれども、親しくさせてもらってるので、彼は車いす利用者なのですけれども、その伊東先生とスクラムを組んで車いす利用者の方々のティーボール大会もこれから小さく作ってですね、5年、6年、10年かけて大きく育てていければいいなあという風に思っています。この分野での大きな広がりも今見えているというところであります。
 5番目は専門委員会がようやく活性化し始めたということです。この24年間、突出して偉大なる貢献してくれていたのはですね、学生研究委員会です。学生研究委員会、これはもう圧倒的な力です。学生研究委員会の力なくしてこの日本ティーボール協会の発展はありませんでした。今日も4、50名の学生諸君が裏方に回ってくれたり、また、この講演を聞いてくれたりしてますけれども、大きな力を発揮してくれたことをこの25年の節目に皆さん方に感謝を申し上げたいと思っております。次にこの2、3年で大きく動き出したの がTTA委員会の審判専門部です。これは田口弘審判長の働きと貢献が極めて大きいという風に思っております。今日、入門の2ページや最終ページに新しい審判委員会で反映した文言が加わっておりますので、後でご覧頂ければという風に思っております。そして昨年から丸山克俊顧問の強力なバックアップもありましてですね、総務委員会と財務委員会の合同委員会が発足しました。総務委員会の委員長は中井常務理事、財務委員会の委員長は頼住常務理事というのでスタートしました。予算規模は極めて小さいんですけれども、より綺麗な協会に保ち続けなければならないというところですね。また、停滞しているところもありますので、それを徐々に改善させていきたいなという風に考えております。
 6番目、これはとっても大事なんですけれども、今日全国からお越し頂いてる方々にご協力を頂戴したいのですけれども、TTA公認指導者認定講習会の開催です。去年顧問の丸山先生と私のコンビでですね、10数回全国を回りました。500人弱の資格者を輩出した訳なんですけれども、これをあちこちでやり抜いてもらいたいという風に思っております。指導者が増えれば増えるほどこのティーボールの発展が期待される訳でありますので皆さん方の努力をぜひお願いしたいという風に思っています。そして、それと並行して日本協会では昨年特別常設機関の公認指導者認定委員会を立ち上げました。それは、全国にその委員が今いらっしゃいます。その委員を中心にして公認指導者の講習会をやって頂くと大変ありがたいという風に思っております。
 7番目、これがですね用具です。ティーボール用バット、SG基準。皆さん方、資料をお渡し致しました。今日、下澤さんもお見えですけれども、今まで未公認ボール、未公認 バットが小学校いたる所で見かけられたんですよね。それで2015年だったでしょうか、平成27年、この日本ティーボールセミナーにおいて未公認バット、未公認ボールの氾濫を考えるということをやりまして、そのセッションでJSERA日本スポーツ用品協同組合連合会の理事長をなさっている重森さんから「バットはぜひSGをとりなさい」という貴重なアドバイスを頂戴しておりました。なかなかそれが現実化しなかったんですけれども、またこれも丸山顧問の強力なアドバイスによってですね、製品安全協会の菅さんを紹介して頂いて下澤さんのバックアップも頂戴してこの今年2月、3月くらいからこれが大きく動き出します。従いまして、皆さん方ティーボール入門の2ページを開いて下さい。施設と用具のちょうど真ん中に(注)とあります。2018年のティーボール入門です。ちょっと読み上げますね。「使用バットに関してはSGマークのついたティーボール用バットの使用を義務付ける」ということに今年からしました。まだSGバット、SGマークのついたバットは販売されていませんけど、4月、5月から販売されますので。当然全国大会はSGのついたバットで全国大会を行います。地方の大会もそのようにしてもらいたいと思っております。じゃあ、今までのバットはどうなるんだということになります。それは、推奨品以下に格下げです。推奨品以下に格下げ。これはナガセケンコーもナイガイもアカバネさん もすべて公認団体には許可を頂いております。そして、そのSGのない、紛い物があるんですけれども、それを排除したいと思っております。
 それからボールでありますけれども、SG基準を作るときにですね、これはナイガイのボールですけれども、このボールを利用してどのバットがSG基準に合うかという実験がなされました。宜しいですね。このボールです。このボールと同じなのがナガセケンコーの緑のこのボールです。今年からこのボールに対して、JTAの金型をつくりました。JTA を浮き彫りにできます。Japan Teeball Associationoなぜならば、これはナイガイのボールなのですけど、打っていると公認マークが消えてきます。消えたボールを公認するわけにはいかない。消えないようにデコボコのついた、それを公認ボールと致します。そうすると、JTAの入っていないボールは全て推奨品以下に格下げです。SGとはどういうことかと言いますと、学校ソフトのバットを持って来たのですけども、ここに日本ティーボール協会のマークがあります。そしてこれはSSKですけども、SGマークが入っています。この両方の入ったものを公認とします。そのバットに対してこのボールを使います。そして塁間が決まります。ボールとバットをきちんとした公認をとらないと塁間が決まらない。ボールがやわらかすぎたりすると当然塁間は狭めなければならないし、飛ばすバットにすると当然塁間は広くしなければならない。当たり前のことであります。そういう基準を今年からスタートさせます。年末にナガセケンコーの方、アカバネの方、ナイガイの責任者の方々と、強烈な厳しい話し合いを致しました。そういう風にして、これからの50年に向 かってしっかりとした日本式ティーボールを全国に広めていきたいという風に考えていま す。
 足早に話をしてきましたけれども、もうひとつせっかく資料を用意しましたので、このティーボールが小学校の必修授業に再び採用の裏面をご覧下さい。これが私が全国初級の講習会の時に語っているレジュメです。ティーボール概論のレジュメです。これを参考にしてください。少し読んでみましょう。まずティーボールとは、どういうものか。ピッチヤーがいない。野球・ソフトボールのスターターゲーム。どこでも、誰でも、笑顔で楽しめるものであるということ。2番目、アメリカやカナダのティーボール先程見せました、金属 バット、それから硬式のボールを少しやわらかくしたのがアメリカやカナダのティーボール。これはリトルリーグでおやりになっているティーボール。
 これ我々も全面的に応援していかなければならない。世界のリトルがやっているということです。日本式ティーボールは、我々が作り上げて育っているものです。学校教育でもできるし、お年寄りでもできる、障がいのある人でも楽しんでできるベースボール型のゲームです。そして4番目が、日本式ティーボールは、小学校の体育の学習指導要領に入っていますよ、それから地域や職場に広がっていますよ、イベントはこうですよ、7番目ティーボールティチャーが今必要なんですよ、8番目野球・ソフトボールの歴史知らなければいけないですよ。9番目審判員をしなければいけませんよ。今日説明した日本式ティーボー ル論。こういう論を皆さんが全国で中級のTTA講習会の時に語って頂きたい。これだけは落とさすに語って頂きたいという風に思って、今日持って来ました。それから次に2枚目の資料、ティーボール用バットのSG基準。先程荒っぽく説明しましたけれども、その専門委員が右側に名前がずらっと並んでおります。こういうそうそうたる企業が携わったということです。臼井先生。芝浦工業大の名誉教授ですけれども、座長で、ナガセケンコー、白惣。岩瀬さんというのは今バットメーカーの会長ですかね。ボーケン、内外、アカバネ、SSK、ZETT、日本シャフト、アシックス、SSプロダクト。これは波多さんがやってるプロダクトですね。それからミズノさん、藤井。そのために日本野球協会だとか、ソフトボール協会の事務局長なんかもこの中に加わりました。こういうメンバーでやらせて頂いたということです。その裏面と次のページ、SGマークの研究・会議等が度々開かれたということをご理解頂きたいと思います。そして最終ページの4、ボールをへこませている図をご覧ください。これです。これナイガイのボールなんです。このボールを使っての実験で ありますから、その類のボールでないとできないということであります。これから規制を厳しくしていきたいなという風に思っております。
 25年足早に説明していきましたけれども最後は私の隣に小宮山さん、その隣に八木沢さんという大変有名な方が2人いらっしゃる。また我々専務理事の岩浪さんという心遣いが抜群にできる方がいらっしゃる。土方さんもいらっしゃいますけれども。この25年。ここからゆっくり話ししましょうか。なぜこの早稲田の国際会議場を使うのかということを最後に話して、私の理事長としての話は終わりにしたいと思いますけどお分かりですか。最後の資料にですね、朝日新聞の1987年11月14日の新聞、まだ私持ってるんですよ。それから「日刊スポーツさよなら早大安部球場。」皆さんが今座ってらっしゃるところ、ここはグラウンドだった。そこは学生野球のメッカ。あとで八木沢さんから聞いて下さい。小宮山さんは最後の時だから。私も実はこのグラウンドに来させてもらって、昭和39年、八木沢さんが早稲田のエースピッチャーで大活躍されている時。野球部に入ろうかなと思って、浪人している時見学させてもらった。八木沢さん、八木沢さんいたでしょうか。あまりにも八木沢さんが素晴らしいのに気付いて入部しませんでした。でも、それで昭和40年に私早稲田に入って、4月3日から早稲田大学ソフトボール同好会を作ろうと思って動き出したんですね。そして4月の終わりにその時このグラウンドで、佐藤千春先生がソフトボールの授業やっていて、佐藤先生にお願いして早稲田のソフトボール同好会を作りたいんだ。 ソフトボールなんてどうですか。ここにポスターを貼らせてもらって宜しいですか。早稲田大学ソフトボール同好会ですよ。会員募集というのを貼らせてもらった。それが縁で佐藤千春先生のソフトボールの授業、4年間TAをやらせてもらった。そのあと私ハワイ大学の方に留学して、帰ってきてから昭和50年に体育局の教員になったんですけれども、その時に野球系の教員が3人いらっしゃった。木村覚先生、佐藤千春先生、西大立目永先生。私は野球系ですので3人の助手をやらせてもらった。それがここです。4年間。だからこのグラウンドに4年間指導者として立たせて頂いた。そのあとは、私が一人前の教員になったものですから、ここには来なかったですけれども、大学の時はほとんどここなんです。 もう一つ、今日は東女体大の佐藤先生いらっしゃいますけれども、東京都ソフトボール協会の第一回大会をここでやったんです。昭和41年。その時はですね、国士舘、日体、学習院。私が安部寮に挨拶にいきましたね。その時にいらっしゃったのが、石井藤吉郎監督、玄関に迎えにきたのが長倉くん。長食に貸してくれないか。早稲田が中心になって東京都ソフトボールリーグをスタートするんだというので、やらせて頂きました。それが昭和41 年。もっというならば昭和51年。中国がナショナルチームを初めて日本に送ってきたんですね。ピンポン外交が1番最初だったんですけれども、その次に野球とソフトボールを面倒見てくれないかということで。早稲田大学というのは、中国と非常に深いつながりのあ る学校なものですから、私のところに来て、実は昭和52年ですか、最初に中国ナショナルチームがプレーしたのはここなんです。その相手にニュージーランドの女子のチームがやっぱり来ましてね、日本ソフトボール協会からお願いされて、やはりここで、安部球場、 早稲田の野球部の先輩の方々の大変なご好意を頂戴して、女子のソフトボール、国際試合はここからスタートした。ですから、まさに野球を考える、ソフトボールを考える場所はここでなければならないという強い思いがあるものですから、このセミナーはいつもこの場所でやらせて頂いているということなんです。ですから25年前の記者発表会もここでやりましたし、ですからここでは八木沢さんに講演頂いて、小宮山さんに頂いて、荒川先生もここに大変なご尽力を頂戴して何回話して頂いたか分からない、徳武さんもそうだし、醍醐さんも。いずれにせよ、ここは学生野球のメッカの地でありましたので、私が元気でいる間、小宮山さんがこれからバリバリおやりになって頂ければ。これからも50年多分セミナーやり続けられるんじゃないかと、そういうところで勉強やらせてもらっていることをご理解頂いて、このティーボールを皆さんと一緒になってですね、これからもアジアに広く普及させていければ非常にいいなという風に思います。これでちょうど30分経ちましたので、これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。