第20回日本ティーボールセミナー
2013年1月19日(土)開催
国民皆ベース・ボールの更なる広がりに向けて
◆ 地域や学校での更なる広がりに向けて
◆ 幼稚園・保育所及び小学生への更なる普及に向けて
開催要項
➡ 第20回日本ティーボールセミナー実施要項(PDF)
理事長報告 吉村正氏
(早稲田大学人間科学学術院教授)
「幼稚園・保育所・小学校・高齢者施設でのティーボール」
皆さんこんにちは。本日は、全国各地から、ここ早稲田大学国際会議場にお越し頂きまして、大変ありがとうございます。昨年は皆さん方のお力のお蔭で、大きな大会を成功裡に終了させて頂きました。
夏には、第15回小学生ティーボール選手権大会、並びに、第5回東日本大震災復興支援ティーボール大会を西武ドームで開催致しました成功裡に終了させて頂いたのは、皆様方のお力があったからこそ、深く感謝申し上げます。本当に、全国大会に至るまでの地方大会等、きちっとおやり頂いて、大変ありがとうございました。また、秋には、第15回の健康福祉ティーボールオープン大会、並びに昨年から、青木勇、今日はお見えでありませんけれども、会長の大変な御決断を頂きまして、青木杯争奪の健康福祉ふれあい大会も開催することができました。関係なされました役員の皆様方には、心から感謝申し上げます。
さて、今年は、この日本ティーボール協会を創設して20年目に入っております。平成5年11月22日、この国際会議場の3階の第一会議室で、今日海部俊樹会長お見えでありますけれども、海部先生を頂点にして、隣に谷澤先生、副会長いらっしゃいますけれども、常務理事、たくさんの方々が集まりまして、日本ティーボール協会発足の記者発表会をやらせていただきました。それから20年が、海部先生、経ちました。一昨年4月にこのティーボールは、お陰様で小学校の3年生、4年生、5年生、6年生の正課授業に入ることが出来ました。今、全国に24700校、小学校があるわけですけれども、今、そこでティーボールをやらなきゃならない状況に至っております。物凄い事になっております。皆さん方のお力のお陰です。高い所でありますけれども、皆さん方に心から感謝申し上げたいと思っております。
さて、今年の日本ティーボール協会は、またまた大きく動きます。力強く動きます。それは、幼児への普及、これを徹底的にやります。ここにですね、持って参りました。やさしいバットです。幼児にやさしいバットです。芯が、プラスチックを固くして、やさしくウレタンで卷いています。ここに、ティーボール協会のロゴを入れています。これを、我々は公認します。そしてもう一つ、ティーは、コーンにします。ティーボールコーンを作り ます。パリパリではなくて、柔らかいものです。幼児が、園児が、楽しく安全にできるコーンを開発しております。そして、ボールです。これは、インドアでも出来るほど柔らかい です。それでいてぶれないボール、不思議なボールを開発しています。ちょっと弾ませてみましょろ。(ボールを弾ませる)弾みません。インドアベースボール、インドアソフトボール、インドアティーボールを、今年は、全国に普及させようと思っております。これを、幼児のティーボールとして使います。このセッションは、今日の第2のフリーディスカッションで御披露致します。更には、このコーンが、背が低い場合は、こういう物もアメリ 力で開発されています。ティートッパーです。これを、コーンの上に差し込みます。背が高くなります。このままだと幼児で使えるのですけれども(コーンを見せながら)、こうすることによって(コーンにティートッパーを差し込んで)、小学校1年生でも2年生でもこのコーンを活用したい、そのように考えております。
今年はですね、とにかく幼児、幼稚園、保育園を攻めまくります。今まで我が国では幼児に対して集団で野球やソフトボールをやるという発想はありませんでした。この日本ティーボール協会は皆様方と一緒にやります。野球界の今までの概念を変えます。そして野球界の歴史もこれから創ろうとします。本日の4時45分からのセッションをぜひ楽しみにして頂きたいと思っております。もう一つ最初のセッションは今年は国体が東京です。東京のスタイルを全国の方々に参考にして頂きたいと思います。その内容を東村山市、西東京市の職員の方々が熱く語って頂ける予定になっております。そしてもう一つ、今年はですね、障がいのある方々に徹底してこのティーボールを普及させていこうと思っております。実は特例子会社、昨年埼玉で第2回の大会をおやり頂きました。今日その責任者である笹川さんがそれをレポートして下さいます。また、東京都の責任者の村山さんにもお 越し頂いております。その内容を聞かせて頂けるのではないだろうかと思います。なお、特例子会社につきましては昨年の11月の朝日新聞の新聞記事を皆さんの資料の中に入れさせて頂きましたので時間のあるときにご一読頂ければと思っております。今まで、野球界、ソフトボール界の人たちの間では、幼児や障がいのある人たちには野球やソフトボールは できないというふうに思われていました。とんでもありません。ティーボールなら、それらの方々に対して思う存分楽しんでもらうことができるというふうに考えております。皆さん、この点も今年一緒にやらせて頂きましょう。最後に、もう一つ皆さん方にお詫びしなければならないことがあります。事務局の件です。昨年の6月1日から今まで19年間成城学園前に事務局を置いていたのでありますけれども、事務局長の山縣さんの体調不良等がありましてですね、先ほど言いましたように高田馬場駅から歩いて1分のところに事務局を移しました。2、3か月の間多少ご迷惑をかけたと思いますけれども、ようやく落ち 着いて参りました。この事務局を、今年金銭面において人的、人の面においても充実させていきたいというふうに思っております。今日は、電通の小貫君も来てくれる予定です。 あと、偉い高杉さんも来てくれていますけれども、電通ばっかりに頼るのではなくて、我々自前でもですね、予算をしっかり獲得して多くの予算を獲得したならば、それを全国の皆様方が大会を開催されるところにですね、分配できるようなスタイルができれば、よりこのティーボールが日本全国で活性化するのではないかと、こういうふうに思っております。 今日お集まりの皆様方のお力をぜひお借り致しまして、今年はこめ幼児に普及させる、障がい者に普及させる、そういう節目の年にさせて頂きたいと思っております。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
会長挨拶 海部 俊樹会長
皆さんこんにちは。大勢の皆さんが、ティーボール協会の将来のために、今日こうしてお集まりいただき、今そこで話を聞いておったら、20年経ったといいますが、私がちょうど総理大臣を辞めたその年に、ティーボール協会が出来るということになって、在任中から体育やスポーツのことを色々ロで言っておりましたから、言いっぱなしじゃなくって、それのほうの一つお手伝いをしろということで私も懐かしい母校ですから、飛んで参って、あの感激的なスタートを体験させて頂いた一人でありますが、それから吉村先 生がよく今日まで頑張ってやってこられた。正直言うと私が在学中に、早稲田大学の政治経済学部に姓も名も同じ、吉村正という先生があって、その吉村教授は採点が非常に厳しい先生でしたから、我々、吉村先生、早稲田大学の為には、私は雄弁会で一生懸命頑張っておりますから、少々出来が悪くっても成績は必ず、合格の良い点にしてくださいよと言って、陳情に行ったこともあったのですが、幸か不幸かお聞き届けを頂いて、私も卒業いた しましたけども、ああいう甘い言葉に惑わされずに落第させてもらって歯を食いしばって勉強すると、海部俊樹も、もう少し勉強したかなぁというようなことを今秘かに反省するんですが、全く同じ名前ですから最初に吉村正先生はどういうご関係があるのかと思って聞いたら、無関係という関係だと言うことでございます。まあ、名前がそうであろうとも、ティーボールに打ち込む吉村教授の心構え・力・努力というものは、極めて大きく評価されるべき物でありますし、また色々なところで、私は演説の方だけ引き受けて、演説を相手にティーボールを一生懸命生きてきたんですが、なかなかこれも簡単なようで難しいんです。けれども言えることは誰でも出来ることと、飛んでくるボールじゃなくて置いてあるボールですから、半分は楽だと。飛んでくる球を見据えるそういう選球眼はなくとも、目の前においてあるんですから、集中して統一すれば、誰でも出来るスポーツだと思っております。皆さんの益々のお力添えと、ご理解によって、ティーボール協会が充実していきますように、心からお願いを致しまして私の御挨拶に代えさせて頂きます。有り難う御座いました。
日本ティーボール協会副会長
元中日ドラゴンズニ千本安打を達成した 谷澤健一
皆さんこんにちは。
海部先生、長らくどうも本当にありがとうございます。私もですね、このティーボール協会ができた、確か93年、その前から、1993年その前からですね、今のスポーツ競技センター、前の体育局ですけれども、そこで役員の方が、数十名集まりまして、これからティーボールという競技のですね、野球界、つまりその野球に携わる人達、それから、低学年の子供達の野球の普及に、底辺拡大に努めていこうと、そういうことで色々協議、吉村先生、しましたよね。
(吉村)はい。
(谷澤)あの頃を覚えていますけれども、実は1993年というと、Jリーグが立ち上がった時期なんですね。こぞって子供たちが、内に閉じこもっていた小学生たちがですね、サッカーによって外に出て、そしてボールを、サッカーボールを蹴るという時代がスタートした時だったんですね。今まさに野球界は安閑としてはおられないということでこのティーボールはスタートしたような経緯を今でも記憶しております。それから20年経ちました。私もこの20年間、そんなには貢献はしておりませんけれども、なんとか大会のあるごとに参加をしております。特に西武ドームで行われる每回の全国大会、それからその前にですね、やはり障害者の施設に我々野球界のOBが行きましてですね、随分障害者と一緒になってこのティーボールを取り組んだという記憶も随分あります。今のスマイル、東京スマイルですかね、ティーボール連盟もそういう形があったからこそですね、定着してきたんじゃないかなと思います。障害者を教えるティーボールも、また、健常者を教えるティーボールも何ら僕は精神は変わらないと思いますね。やっぱりこの野球、また、競技の信念をですね。そういう意味で先ほど吉村先生のお話にもありましたけれども、これから、今年からですね、小学校はもちろんのことですね、4歳児、5歳児ぐらいからですか?
(吉村)4歳です。 (谷澤)4歳からですか。4歳児からこのティーボールを勧めていくと。私も2人の男の子、孫がおりますけれども、この隔世遺伝で何とか野球選手にしようかなと考えておりますけれども、4歳から実はティーボールをやらせているんですよ。先ほどのちょっと柔らかい、ちょっと貸してください、柔らかいバットありました よね。なかなかね、4歳児、5歳児はね、バットをこう振り回してばかりでね、ボールに当たらないんですよね。ちょっと教えるとね、(司会がバットを持ってくる)最初はボールを打たせないでね、こうやってげんこつを僕はその4歳児、5歳児の前にこうげんこつを置くんですよ。そして最初にこうやって振り回すの。これがね、このげんこつを打ってごらん、ここにこう打ちだすんですよね。それでちょっと構えて、構えてからここへげんこつを打ってみろ。ここから始めるとね、そのイメージが残って、このボールを打てるようになってくるんですよね。だから最初から止まっているボールでもなかなか打てない。4歳児とかだと。だからそういうとこから、やはりごく基本の基本から進めて丁寧に説明していかないと。特に、野球に志していた大人の方々は野球の基礎的なことは分かってい るけれども、子供が野球を始めた、ところが自分は、親は、保護者は野球をやったことが ない。そういう方のためにもですね、やはり最初から基本的なことを丁寧にその親に仕込んでいくということが大事な要素かなと今でも僕は考えております。それから今日、森徹さん、全国野球振興会の理事長の方もいらして、昨年もそうですけれども、いらしており ます。昨日、一昨日ですかね、プロ野球のOBが高校野球の分野に指導できるというようなことが発表されました。我々の時代は教職を取っても10年経たないと高校野球の指導者 にはなれない時代でした。4、5年前からは教職を取って2年経過した後ならば高校野球の指導者になれるというようなふうに変わりましたけれども、今回初めてですね、3日間の講習によって高校の指導者にも進んでいけると。そうやってプロとアマの非常に垣根がですね、低くなってまいりました。野球界はこのティーボールを含めてですね、今年から新たな発展をですね、遂げてまいると思うんですよね。そういう意味で皆さんのご理解をですね、学生諸君も含めてですね、是非、ご理解をして頂いて、いい指導者を、また、いい選手を、また、いい子供達を健全なこのティーボールによって鍛えて鍛錬して、強い人 間をですね、育てていきたいなと考えております。これからもどうかよろしく、そういう意味ではお願い申し上げます。